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近代化遺産ある記

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vol.23 JR畝傍駅

掲載日:2016年5月13日

昭和を語るノスタルジックな木造駅舎

昭和15年(1940)、橿原は「紀元二千六百年記念行事」に沸いていました。神武天皇の即位を紀元前660年2月11日とし、2600年目に当たる節目の年を祝うというもので、一連の式典や行事が開催され、その年の橿原神宮の参拝者は1000万人を数えました。利用者の増大や昭和天皇の橿原神宮行幸という大事を機に、橿原神宮の最寄り駅である大阪鉄道畝傍駅(現JR畝傍駅)も改築され、2代目となる現在の駅舎となりました。

大和棟民家の外観をイメージしたと思われる木造平屋建ての駅舎は、待合室の格天井は高く、屋根は瓦葺と、寺社を思わせる厳かな雰囲気ながら、どこか懐かしさも漂わせます。大勢の利用客でにぎわった当駅ですが、次第に私鉄へと鉄道利用が移り、昭和59年(1984)には無人駅となりました。しかし昭和という時代を物語る貴重な木造駅舎であることには変わりなく、いまも多くの鉄道ファンを魅了しています。

チェックポイント!

貴賓室

県下には畝傍駅にだけ!

畝傍駅には県内のほかの駅にはない施設「貴賓室」があります。いわばVIPルームで、昭和天皇はじめ天皇や皇族が橿原神宮に参拝する際に利用しました。内装は総桧造りで、賓客を迎えるにふさわしい装飾が施され、クロス張りの壁やカーテンなどは当初のまま残されています。普段は非公開ですが、年に1度特別に公開されます(写真は貴賓室出入口)。

団体改札口でした

どうぞいらはい、橿原神宮参拝者さまご一行

畝傍駅は大きな収容能力を有していました。長いプラットホームや、駅舎とホームをつなぐ階段が3つあることからもわかりますが、その収容力をもっとも端的に示すのが、駅舎の東に残る団体改札口です。昭和40年代までは団体待合室もあったそうです。現在はフェンスで閉鎖され、がらんとしている改札口ですが、その広さから人々でごったがえしていたであろう往時の賑わいを充分に想像することができます。

吉野鉄道小房(おうさ)線

橿原神宮をとりまく3つの鉄道会社

小房線は、大正13年(1924)に吉野鉄道が営業していた橿原神宮前駅・吉野駅(現近鉄六田駅)間を畝傍駅まで延伸して開業した路線です。駅の南側には小房線の起点となるホームがありましたが、大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)合併後の昭和27年(1952)に廃線となりました。跡地には民家が建ち、当時のものは残っていませんが、大鉄・大軌・吉鉄の3社が競って鉄道を敷いたことからも、かつての熱狂が伺えるのではないでしょうか。

JR畝傍駅 DATA

住所橿原市八木町2-1
アクセスJR桜井線
建造年明治26年(1893)
一般公開自由
入館料改札内は要入場料
問い合わせ(無人駅)

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