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近代化遺産ある記

vol.4 大仏鉄道

掲載日:2014年8月6日

※今回は奈良側の遺構を紹介します

奈良と加茂を結んだ懐かしの鉄道跡

奈良といえば大仏。かつて、その「大仏」を路線名にもつ「大仏線」が、奈良と、京都の南山城を結んでいたことをご存知でしょうか。大仏線が開通したのは明治31年(1898)。当初は京都の加茂駅から、奈良市法蓮町に設置された大仏駅までを結んでいましたが、翌年には奈良まで乗り入れとなり、加茂-奈良間の約10kmを真っ赤な蒸気機関車「電光号(いなずまごう)」が走りました。

"大仏鉄道"の通称で親しまれ、多くの観光客を運び、大仏参拝の拠点として人気を博した大仏線でしたが、その後、路線の整理が進み、明治40年(1907)に路線廃止、わずか9年の歴史に幕を下ろし、同年、経営していた関西鉄道も国有化されました。しかし大仏鉄道の築堤跡や橋脚跡、隧道(ずいどう)は、いまも加茂-奈良間によく残っており、全長約12kmの廃線跡ウォークを楽しむことができます。

チェックポイント!

御影石のアーチ・鹿川隧道

築堤跡を貫く明治時代の用水路

奈良市側に唯一しっかりと残る遺構。800mほど北の木津川市側にある松谷川隧道とよく似た構造をしています。精巧なアーチをつくる御影石が歴史の古さを物語り、すぐ横を通る現役の水路との間にわずかにレンガ積みを残します。

消えた黒髪山トンネル

奈良一高い跨道橋に面影を偲ぶ

大仏鉄道最大の難所は1000mで25mを登る急勾配の黒髪山。かつては社章があしらわれた黒髪山トンネルが通り廃線後も生活道路として用いられていました。昭和30年代末に山ごと取り壊され、いまは奈良一高い跨道橋が架かっています。

幻の築堤・橋台跡を追え!

奈良市に残る大仏線の面影

大仏鉄道の姿は随所に想像することができます。鹿川隧道が貫く土手や県立大のグラウンド西側の崖は、線路が敷かれた築堤跡。また大佛鐵道記念公園南の下長慶橋からは川底に、法蓮町の佐保分署北側では下水の側溝に、レンガの橋台跡が見られます。

造ったのはこんな会社!

関西鉄道株式会社(かんさいてつどうかぶしきがいしゃ)
明治21年(1888)認可~昭和40年(1907)国有化

関西鉄道株式会社は明治の私設鉄道会社。日本鉄道、北海道炭礦鉄道、山陽鉄道、九州鉄道とともに明治の五大私鉄に数えられ、現在の関西本線、大阪環状線、奈良線、桜井線、紀勢本線などの前身として近畿圏を網羅していました。官営鉄道にライバル心を抱き、鉄道史に残るダイヤ短縮競争や運賃値下げ競争を行ったのは有名。しかし当時の橋梁やトンネルは100年を超えてなお使用され、その土木技術は高く評価されています。

大仏鉄道 DATA

住所奈良市、木津川市に遺構が点在
アクセスJR奈良駅もしくは大佛鐵道記念公園からJR加茂駅まで、全長約12km。
加茂駅には地図が置かれ、コース標識も設置されており、わかりやすい
設計者関西鉄道株式会社
建造年明治31年(1898)
一般公開見学自由
問い合わせ0774-73-8191(木津川市観光協会)
関連サイト大仏鉄道研究会公式ホームページ
http://www.eonet.ne.jp/~daibutu/

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