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近代化遺産ある記

vol.17 百寿橋

掲載日:2015年11月6日

城下町に現れたコンクリートの橋

筒井順慶や豊臣秀長など、名だたる大名たちが居住した郡山城。江戸時代には柳沢吉里が入城し、大和郡山は15万石の城下町として栄えました。明治になりお城は売却処分され、郡山城の中堀沿いに旧生駒郡役所(現大和郡山市役所)が設置されました。設置とともに造られた木造の橋が架け替えられたのが、この百寿橋です。

百寿橋は昭和11年(1936)市民の寄付によって建造されました。鉄筋コンクリート製のRCアーチ橋、幅4m、長さ20m、工事費3100円と、当時の最新技術が用いられた近代的な橋です。江戸時代の情緒を残す町に現れたコンクリートの橋に人々は驚き、新聞で報じられるなど注目を集めました。百寿橋は郡山の近代の歩みを伝える土木遺産として、いまも人々に大切に利用されています。

チェックポイント!

高欄のデザインは元紋所

市章を採用、和風をミックス

橋の欄干を飾る大和郡山市の市章ですが、これは柳澤藩の紋所「郡山花菱」を図案化したもの。近代的なつくりの百寿橋ですが、どこか日本的なのは、この市章で飾られているからかもしれません。中堀の石積みとの調和がとれたデザインに仕上がっています。

失われたオブジェを復元

お城に灯りがともります

建設当初、橋の両端にある4本の親柱には、城郭建築を模した金属製のオブジェが置かれていました。摺りガラスを入れ、夜には電燈が灯っていたそうです。市制60周年を記念し、平成26年(2014)、当時の設計図や写真をもとに、御影石で電燈が復元されました。暗くなるとLED照明が自動で点灯し、往時の味わい深い風情を呼び起します。

池で憩う生き物たち

魚も鳥も、ヒトものんびり

お城の中堀はいまも矩形の池として残っています。池では噴水が虹をつくり、市が全国に誇る魚・金魚や鯉が泳ぎまわり、サギや鴨が遊ぶ姿を見かけます。駅前で交通量の多い場所にある市役所ですが、堀を渡る橋のうえからは、そんな心安らぐ風景を楽しめるのです。

百寿橋 DATA

住所大和郡山市北郡山町248-4
アクセス近鉄大和郡山駅から徒歩約5分
建造年昭和11年(1936)
一般公開自由
入館料無料
問い合わせ0743-53-1151(大和郡山市教育委員会 生涯学習課)

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