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勝手に奈良検定

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第1回 勝手に奈良検定

問題1

猿沢池のやや北東に位置する長い石段。
登りきって三条通りを渡れば、そこはもう興福寺。
まっすぐ進むと渋さ満点の五重塔の前に出る。
さて、ここで問題。
この猿沢池から興福寺への石段、全部で何段ある?
段数は、そのまま階段の名前にもなっています!

第1回 勝手に奈良検定

正解

正解は52段。

すでに江戸時代中期の絵地図には石段が見られ、明治20年の写真には、中央付近に踊り場を備えた52段が写されている。現在の石段が築かれたのは明治31年と言われる。終戦後、アメリカ兵が石段をジープで登ったというエピソードは有名。ところでなぜ52段の段数なのか。仏教には52位の修行の段階があり、52位に至って仏の位に達することに由来するとか、善財童子が53人の善智識を訪ねて回ったことに由来するなど諸説ある。

ちなみに52段の階段下は道が6方向に分岐し「六道(ろくどう)の辻」と呼ばれる。階段の下は地獄や畜生などの煩悩うずまく人間の世界、階段の上は仏の世界ということかもしれない。52段の階段を持つ寺院はいくつもあるようだ。お寺に行って長い階段を登るときは数を数えてみると面白いかも。

問題2

続けて興福寺からもう1問。
平安時代から中世にかけて、大和の国を支配したとまで言われる興福寺。
その勢力たるや、絶大なものだったが、この興福寺の発展には、ある氏族の存在が欠かせなかった。
興福寺を氏寺とするこの氏族、さていったい何氏?

正解

正解は藤原氏。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」。奈良から平安にかけ、栄華を欲しいままにした一族をまさに象徴する道長の歌。この氏族の存在なしには、興福寺の発展はありえなかった。そもそも藤原氏の祖は、中臣鎌足までさかのぼる。大化の改新を進めた鎌足は、その死に際し藤原の姓を賜り、あとを継いだ不比等は天皇家との直接的な姻戚関係を強め、政権支配を確実なものにしていった。

そしてこの不比等が、鎌足の建てた山階寺を移したのが興福寺である。以後興福寺は、藤原氏の氏寺として手厚い保護を受け、壮大な七堂伽藍が整えられた。興福寺ばかりではない。御蓋山のふもとに造営された春日大社もまた、藤原氏の氏神として鹿島から勧請された神である。興福寺と春日大社、このふたつは、ともに藤原氏の氏寺氏神として、奈良の地に大きく発展したのである。

問題3

最後は奈良から離れて明日香までひとっとび。
明日香村のシンボルといえば、そう、石舞台古墳。
墓を覆う盛土が失われむき出しになった巨大な石室は、一度見たら忘れられないくらいのインパクト。
ところでこの墓が荒らされたのは、この人が葬られていたから、という説がある。
死んでなおここまでの恨みを買ってしまった、墓の主と考えられている人は、いったい誰?

正解

正解は蘇我馬子(そがのうまこ)。

馬子は6世紀半ばから7世紀前半の人。敏達、用明、崇俊、推古といった天皇に仕え、仏教推進派として反対勢力の物部守屋と争いこれを討ち、さらに崇俊天皇暗殺にも関わった。数々の謀略を経て権勢を築いたためか、飛鳥寺建立などにみられる仏教への表向きの篤い帰依に反して、評判はいまひとつ。

馬子は死後、飛鳥の桃原墓(ももはらのはか)に埋葬されたとされるが、これが石舞台古墳ではないかと言われている。石舞台の名の由来は女に化けた狐が石の上で舞いを舞ったからとか、旅の一座がこの上で演じたからとか、これも俗説はさまざま。ともあれ、本来盛り土を有するはずの古墳の石室がむきだしになっているのは異常な状態。死者の墓を暴くのは、これ以上ない侮辱であり、ましてやかつての有力者であったとすればなおのこと。権謀術数を尽くして政治を行った人物の、逃れようのない運命だったのかもしれない。

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