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勝手に奈良検定

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第23回 勝手に奈良検定

問題1

日本神話のふるさと葛城の地にあり、日露戦争の勝利品として奉納された大砲(写真)がある神社は、何という名前の神社でしょうか。

第23回 勝手に奈良検定

正解

正解は「葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)」。

葛木坐火雷神社は通称「笛吹(ふえふき)神社」と呼ばれ、古代の笛吹を職とする笛吹連(ふえふきのむらじ)一族の本拠地と伝えられています。その名にちなみ、毎年正月には、フルートや尺八の奉納演奏が行われます。元は火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)を祀る火雷神社と、笛吹連一族の祖神である天香山命(あめのかぐやまのみこと)を祀る笛吹神社の2社が1つになったものといわれています。

本殿の西尾根上には「笛吹神社古墳」があり、一族の祖の古墳と伝えられています。境内にある大砲は、日露戦争の戦利品として明治42(1909)年に奉献されたロシア製の「加農攻守城砲」。鳥居の右側には、周囲3mの県指定天然記念物「イチイガシ」の巨木があり、ほかにも境内には、平安時代に宮中に献納していたといわれる、波波迦木(ははかのき)があります。

問題2

奈良盆地は、古代の律令国家のもと、幹線的な古道がいくつか作られましたが、平城京の南端にある羅城門から、藤原京へ南北に通じていた幹線道は、何と呼ばれていたでしょうか。

正解

正解は「下ツ道(しもつみち)」。

古代律令国家のもとで造られた幹線道路には、南北に走る上ツ道、中ツ道、下ツ道の3道と、東西を結ぶ横大路、中央部を斜めに通る筋違道があります。南北に走る3本の道の東西の間隔は、それぞれ4里でほぼ等間隔に造られていました。上ツ道は奈良盆地の東部の山麓地帯を縦走し、桜井市仁王堂で横大路と交わっています。近世では上街道と呼ばれました。中ツ道は上ツ道の西を走る道で、近世では橘街道と称されました。平城京東京極の南から飛鳥の橘寺の東を経て、吉野に向かう道です。

下ツ道は近世には中街道とよばれました。下ツ道は、平城京の中軸となった幹線道路で、道幅は約43mと、今の御堂筋と等しいことがわかっています。下ツ道が京域と交差するところが羅城門で、そこから幅75mの広大な朱雀大路が平城京朱雀門まで続いていました。
わが国最初の都城として造営された藤原京も、その後の平城京も、中ツ道、下ツ道をもとにして設けられたと考えられています。

問題3

今の大和高田市、かつては高田本郷と呼ばれた地で起こった事件をもとに、江戸に舞台をかえて描かれたと言い伝えられる井原西鶴(いはらさいかく)の物語は、何という名前の物語でしょう。

正解

正解は「『好色五人女』の「八百屋お七」」。

天和2(1682)年の大火の際、江戸本郷追分の八百屋太郎兵衛一家は、駒込の吉祥寺に避難します。この太郎兵衛一家のひとり娘がお七。年は16で、大変に美しい人だったといいます。避難した寺の小姓・庄之助と恋仲になりますが、やがて焼け跡には家が建ち、2人は離ればなれのまま逢うこともままならず。お七は恋慕のあまり、再会を願って翌年自宅に放火します。当時の放火は重大犯罪で、お七は火刑に処せられました。

この「八百屋お七」の物語は、高田本郷で起こった事件という伝説があり、八幡筋1丁目には「お七川」が流れ、この川の水をやけどに塗ると早く治るといわれています。本郷町の常光寺にはお七の数珠が秘蔵され、同寺の過去帳には死刑囚を追悼した記録に「しち」という名の女性があり、お七のものと伝えられる墓があります。

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