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勝手に奈良検定

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第31回 勝手に奈良検定

問題1

10月31日~11月1日、北葛城郡広陵町で行われる秋祭りは、豪快なだんじりで有名。何という神社の何という名前のお祭りでしょう。

第31回 勝手に奈良検定

正解

正解は櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことじんじゃ)の戸立祭(とだてまつり)。

奈良の秋祭りのしんがりで、宵宮(よいみや)のだんじりが豪快であることで有名な櫛玉比女命神社の戸立祭。名前の由来は、村の皆が戸を立てて(閉めて)、祭に参加したことからそう呼ばれます。10月31日午後、弁財天・南・的場・萱野の4大字(だいじ)の集落からだんじりが繰り出します。櫛玉比女命神社の参道には4台の地車が集まり、伊勢音頭を歌いながらゆっくりゆっくり進みます。

綱は子どもたちが掛け声をかけながら曳き、青年団は網元を担当、夜になると、弁財天の地車を筆頭に宮入りします。合図をもとに境内入り口付近から拝殿に向かって一気に走り、地車を拝殿すれすれに止め、つづいて他の地車も同様に行い、本殿まで突進・本殿すれすれで止まるという豪快な荒技が、祭りのクライマックスです。櫛玉比女命神社は萱野の南、弁財天の集落の南東部に位置し、祭神は櫛玉比女命。地名の弁財天が示すように弁財天信仰が行われ、境内には厳島神社も祀られています。

問題2

奈良市にあるこのお寺は、鎌倉時代・無住法師の『沙石集(しゃせきしゅう)』に、「南都に地蔵の霊仏あまたおはします。知足院、福智院、○○○・・・」と紹介され、地蔵尊をまつるお寺として知られています。何という名前のお寺でしょう。

正解

正解は十輪院(じゅうりんいん)。

十輪院はもと元興寺の一院で、吉備真備(きびのまきび)の長男である朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)が建立した寺院であると伝えられています。ドイツの建築家ブルーノ・タウトが称賛したという本堂(国宝)は寄棟造の仏堂で、ゆるやかに流れる屋根が優美なお寺です。

鎌倉時代の『沙石集』(1283)に、福智院、知足院とともに名が列せられ、地蔵尊をまつるお寺として信仰を集めてきました。本堂の奥にある鎌倉時代の石仏龕(せきぶつがん)は、間口約3m、奥行約2.5m、高さ約2.3mの花こう岩でつくられた石室。厚肉彫りの本尊地蔵菩薩立像を中心に、左右側壁に十王像を5体ずつ線刻し、手前扉石・袖石などに釈迦(しゃか)・弥勒(みろく)・不動・観音・四天王の諸仏が彫刻され、極楽往生を願う地蔵世界を表しています。

問題3

1831(天保2)年に、現在の宇陀市榛原区で発掘された墳墓の墓碑銘には「壬申年将軍」と記されていました。埋葬品が国宝にも指定されているこの墳墓は誰のお墓でしょう。

正解

正解は文禰麻呂(ふみのねまろ)。

伊那佐山から南東に延びる尾根の南斜面に、慶雲4(707)年に没した文禰麻呂の墓があります。文禰麻呂は、『日本書紀』に壬申の乱で大海人皇子(おおあまのみこ)の舎人(とねり)として活躍していたことが記されています。大海人皇子は吉野宮で挙兵を決断して近江に向かい、対する大友皇子(おおとものみこ)の軍を次々に打ち破りました。瀬田の戦いで大友皇子の大軍が敗れ、大友皇子は自殺、内乱は終結します。『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、文禰麻呂が論功で100戸の封を与えられたとあります。

墳墓は天保2(1831)年に発掘されました。火葬した骨がガラスの壷におさめられ、それが布でくるまれてさらに金属製の壷におさめられていました。銅の箱に入った銅製の墓碑銘板には「壬申年将軍左衛士府督正四位上文禰麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒」とあり、昭和27年に国宝に指定されました。昭和57年の再調査で、墓碑出土場所のそばで墓の跡がみつかり、『文禰麻呂墓』として昭和59年に国の史跡に指定されています。

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