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勝手に奈良検定

第32回 勝手に奈良検定

問題1

桜井市南方に広がる多武峰(とうのみね)、その山頂(標高608m)近くに談山(たんざん)神社があります。この神社の御祭神はだれでしょう。

第32回 勝手に奈良検定

正解

正解は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)。

藤原鎌足は高市郡明日香村の生まれ。法興寺の蹴鞠会(けまりえ)で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ。のちの天智天皇)と大化改新の談合を行います。当時政治の実験を握っていた蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか)親子を討伐し、政治の改革を行おうとする話し合いでした。そして645年、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)大極殿で蘇我入鹿を滅ぼし、中央統一国家の完成という歴史的偉業を成し遂げます。

談山神社の名前は、藤原鎌足と中大兄皇子が大化改新の相談をした本殿裏の「かたらい山」の故事から名づけられました。唐から帰国した鎌足の長男・定慧(じょうえ)は、摂津の阿威山に葬られていた鎌足の遺骨を、生前ゆかりの深い多武峰に移しました。十三重塔、講堂を建てて妙楽寺とし、後に方三丈の神殿を建て、鎌足の像を安置しました。初層が大きく、上に12の屋根を重ねた木造十三重塔は全国唯一の遺構。紅葉に映える緩やかな桧皮葺(ひわだぶき)の屋根が見事です。

問題2

「元の木阿弥(もくあみ)」の語源となった史話が、大和国の戦国大名にまつわる話として残っています。この大名は、何という名前でしょう。

正解

正解は筒井順昭(つつい じゅんしょう)。

筒井城を居城とし、大和一国をほぼ手中に収める勢力を持っていた筒井氏。順昭は大和国の戦国大名として、勢力を拡大していました。ところが、28歳の若さで不治の病にかかってしまいます。天然痘・脳腫瘍とも言われていますが、家臣数人を連れて比叡山に隠居。嫡子の藤勝はまだ3歳の幼子でした。順昭は思案の末、城に出入りしている盲目の法師(黙阿弥)を影武者に仕立て上げ、死後3年間は自分の死を隠し通し、外敵の侵略を防ぐことを思いつきます。

この計画は成功し、藤勝は6歳のときに城主となり、お家安泰となります。この藤勝が有名なのちの筒井順慶(じゅんけい)です。大役を果たした黙阿弥は多くの金銀を手に、古巣の奈良・角振町に戻りますが、帰れば元の黙阿弥、名もない一介の法師にすぎませんでした。筒井順昭の肖像は、黙阿弥の住まいがあった角振町に近い伝香寺に残されています。

問題3

第60回正倉院展の中で最も注目を集めそうな「白瑠璃碗(はくるりのわん)」。この白瑠璃碗と非常に似た器が東京国立博物館に収蔵されています。この2つの碗をテーマにした小説は、何という作家の何というタイトルの小説でしょう。

正解

正解は井上靖(いのうえやすし)の『玉碗記(ぎょくわんき)』。

奈良国立博物館で公開されている正倉院展。第60回目の節目となる今年は、天平文化の粋を集めた工芸品や装身具が多く展示されています。「白瑠璃碗」は1946年の第1回展でも展示された逸品。ササン朝ペルシアよりシルクロードを通じて伝わったとされる厚手のガラス碗です。正倉院には多くのガラス器がありますが、製品そのものが産地から日本に運ばれてきたものは数が少なく、シルクロードの交流を象徴し、古代ガラスの美しさを現在に伝える貴重な宝物です。

この白瑠璃碗と口径、高さ、切子の数も同じ器が、東京国立博物館に収蔵されています。東京と奈良、今は別々の場所にある2つのガラス器が、実は一対の製品として日本に運ばれてきたのでは…。井上靖は、この2つの白瑠璃碗をもとに、安閑天皇と后、自分の妹とその夫の二組の男女の愛情を織り交ぜた作品をあらわしました。白瑠璃碗を見てから読むか、読んでから見るか。一味違う楽しみ方をしてみてはいかがでしょうか。

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