ホーム > 歴史・文化 > 勝手に奈良検定 > 第70回 勝手に奈良検定

勝手に奈良検定

オンライン書籍

第70回 勝手に奈良検定

問題1

この写真から連想される万葉集の著名な歌はどんな歌でしょう。またその作者は誰でしょうか。写真は、宇陀市大宇陀の冬の日の出前の空です。

第70回 勝手に奈良検定

正解

正解は、「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶき)ぬ」(柿本人麻呂、巻1-48)。

歌の意味は、「東の野に夜明けのかぎろいが立つのが見え、振り向けば西の空に月が傾いていた」というものです。いにしえの野を東西の方向に大きく捉えた、荘厳で劇的な風景です。

作者の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、天武・持統朝を中心に活動した歌人です。その歌は華やかな技法を駆使しながらも重厚な響きをもち、のちに山部赤人(やまべのあかひと)とともに歌聖とも呼ばれました。歌が詠まれたのは現在の宇陀市大宇陀といわれます。このあたりは古代には「阿騎」(あき)と呼ばれ、奈良と吉野、伊勢方面を結ぶ交通の要衝の地でした。また、飛鳥時代には宮廷の狩場としても使われたといわれます。この歌は、軽皇子(かるのみこ)の狩猟のお伴として出かけた人麻呂が早朝の雄大な風景を詠ったものです。

「かぎろひ」とは、厳冬のよく晴れた日の、日の出の1~2時間前に、東の空に現れる最初の陽光のこと。宇陀市大宇陀の「かぎろひの丘万葉公園」では、毎年旧暦の11月17日に「かぎろひを観る会」が開催されます。当日は葛湯のふるまいもあり賑やかですが、見られるかどうかはお天気次第(2011年は12月11日開催。はっきりとは観察できなかったようです)。新しい年、厳冬と快晴の条件がうまく揃った日に出かけてみてはいかがですか。近くには「大宇陀温泉あきののゆ」もあり、ゆっくり暖まることができます。

問題2

2012年、成立1300年を迎える『古事記』。稗田阿礼(ひえだのあれ)が口述したものを太安万侶(おおのやすまろ)が筆記したと伝えます。では稗田阿礼の出身地にあり、阿礼を祭神とする神社とは、さて、何神社でしょう。

正解

正解は、売太(めた)神社。

売太神社は大和郡山市稗田町の中世環濠集落の東南部にあり、主神に稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)を、副祭神に天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀ります。延喜式に記された格式ある式内社で、古くから三社明神として信仰されてきました。

また稗田は、天宇受売命を祖にもつという稗田猿女君(さるめのきみ)の邸宅があったと伝えられる地です。奈良時代、ここに生まれたのが稗田阿礼です。聡明で記憶力が抜群に優れた稗田阿礼は、並みいる優秀な人材の中から舎人(とねり)として天武天皇にかかえられ、歴代の神々の事蹟や皇位継承、天皇の業績など、数多くの事柄を誦習して覚えさせました。稗田阿礼は一度覚えたことは決して忘れなかった記憶力の持ち主。それから30年余の後、元明天皇が太安万侶に命じて阿礼の口述を記録させ、和銅5年(712)にできあがったのが古事記です。

2012年は奈良県「記紀・万葉プロジェクト」はじまりの年。県内では古代に思いを馳せるさまざまなイベントが予定されています。稗田阿礼の地元の大和郡山市では、「古事記1300年 新たな物語りの始まり」として、2月4日(土)~5日(日)、石見神楽の演奏もある「オープニングイベント」や「記憶力大会」「こおりやま歴史フォーラム」など、古事記にちなんだ催しが行われます。

問題3

2011年12月に発見された古代史上もっとも有名な池。さて、その池の名前は何でしょうか(できたら漢字に挑戦してみましょう)。

正解

正解は、磐余池(いわれのいけ)。

2011年末の考古学のビッグ・ニュースとして報じられた磐余池の発見は、全国の考古学ファンや古代史ファンの心を躍らせました。調査が行われたのは橿原市東池尻町。人工池の堤は現在の地形から推定すると、高さ3m、総延長330mあり、池の広さは8.7haと考えられます。また堤の上からは、用明天皇の宮の関連施設とみられる大型建物跡も発見されました。磐余池は万葉集や日本書紀に記されながら、これまで場所が特定できていませんでした。

磐余池といえばこの歌がよく知られます。「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨(かも)を今日のみ見てや雲隠(くもがく)りなむ」(磐余池に鳴く鴨を見るのも今日が最後だ。私は雲の向こうへ消えてしまうのだろうか…)。これは謀反の罪で処刑された大津皇子が詠んだ辞世の歌です。とらわれの身の自分とは違い自由に羽ばたける鴨を、皇子はどのような気持ちで眺めたのでしょう。万葉集には「磐余池の堤で涙を流して詠んだ」と記されています。飛鳥から護送される大津皇子がふと心を留めた池が、1300年余りもの時を超えて発見されたのです。

今回発掘が行われたエリアは古代から磐余と呼ばれ、履中(りちゅう)、継体(けいたい)、敏達(びたつ)ら、多くの天皇が宮を築いた地です。皇位継承などをめぐる争いも、この地で繰り返されてきました。また古代には神降りる山として祀られた、天香具山を間近にする場所でもあります。川をせき止めるダム式の人工池は、狭山池(7世紀前半、大阪狭山市)が最古とされてきましたが、今回の発見で、6世紀に造られたこの磐余池が、国内最古となりました。

問題一覧

このページの先頭へ

Copyright © NANTO BANK,LTD All Rights Reserved.