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勝手に奈良検定

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第73回 勝手に奈良検定

問題1

写真手前には大きな茅葺きの家。高台では桜が満開です。奥には小さなトンネルと1本の細い道…。さて、問題です。のどかな春の風景が広がるこの土地の名前を、漢字3文字で答えてください。

第73回 勝手に奈良検定

正解

正解は、 賀名生(あのう)。

五條市西吉野町賀名生は、奈良県三大梅林のひとつ・賀名生梅林で知られる静かな谷あいの村です。またかつて、後醍醐天皇をはじめとし、後村上・長慶・後亀山天皇ら南朝方の天皇が、再起を願いながらこの地で過ごした、歴史薫る地でもあります。

写真手前の茅葺き屋根の建物は、「堀家住宅・賀名生皇居跡(ほりけじゅうたく・あのうこうきょあと)」。重文にも指定される日本最古級の民家で、春には薄紅色のシダレザクラがあでやかに彩ります。皇居跡の隣には賀名生の里歴史民俗資料館が建ち、南朝や維新の魁(さきがけ)・天誅組(てんちゅうぐみ)の資料を見学できます。

資料館の背後の丘も、春には桜が見事です。緩やかな坂道を登った先には北畠親房(きたばたけちかふさ)公の墓もあり、丘の上からは写真のような風景を一望できます。トンネルと舗装路は奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ予定だったまぼろしの「五新鉄道」。賀名生の里を電車が走ることはありませんでしたが、現在ではバス専用道路として利用されています。

問題2

若草山の頂上にある鶯塚(うぐいすづか)古墳。ではこの古墳について書き残した平安時代の作家といったら、さて誰でしょう。

正解

正解は、清少納言(せいしょうなごん)。

清少納言は平安時代中頃(康保3年[966]頃~万寿2年[1025]頃)の人で、中宮定子に仕え、宮中に出仕しました。文学的才能に秀で、女流作家、歌人として活躍、代表作である『枕草子』は「をかし」の文学として、その知的な面白さからいまも読み継がれています。

『枕草子』は随筆、宮中生活の回想、さまざまなジャンルの代表的なものを挙げる「ものづくし」の大きく3つの内容に分けられますが、鶯塚古墳が記されるのは、この「ものづくし」においてです。第19段に「みささぎはうぐひすのみささぎ、かしはぎのみささぎ、あめのみささぎ」と、清少納言が「をかし」、すなわち素晴らしいと思った「みささぎ」、古墳を挙げています。その筆頭こそが奈良市の若草山にある「うぐいすの陵」、すなわち「鶯塚古墳」ではないかと考えられています。

現在の鶯塚古墳の名前は、江戸時代に枕草子にちなんで付けられたものです。全長約130m、前方部幅約50m、後円部径61mの2段築成の前方後円墳で、5世紀の初頭までに造られたと考えられています。家型埴輪や内行花文鏡などが出土しており、国の史跡となっています。清少納言が書き記した「うぐいすのみささぎ」かどうかは確定できませんが、旧平城京を見渡す絶景の地にある古墳であり、たしかに「をかしき」古墳であるかもしれません。

問題3

修験道の開祖と仰がれる役行者(えんのぎょうじゃ)に仕えた前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)。2人の鬼は、奈良県内のある2つの村の人々の先祖だといわれています。鬼を先祖にもつ村とは、さてどことどこでしょう。

正解

正解は、下北山村と天川村。

奈良県南部吉野郡にあるこの2つの村は、前鬼と後鬼の子孫であることを誇りとし、暮らしている人々が住む村です。

まず下北山村は、前鬼と後鬼の、鬼の夫婦の子孫が生き続ける村です。大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の巡礼地でもあるその名も「前鬼」の地には、鬼の夫婦のあいだに生まれた5人の子どもたちの子孫が営む宿坊があります。もともとは鬼の子どもの数と同じく、5軒あった宿坊ですが、現在は五鬼助(ごきじょ)さんが営む1軒だけが、土日にのみ、修験者や登山者のために宿坊を開いています。五鬼助家には先祖の鬼から始まる家系図も伝わり、役行者から「この地で修行者の世話をするように」と言われた言葉を、いまも誇りとしています。

もう1つの村は、天川村です。洞川(どろがわ)温泉で知られる山間の湯の町には、下北山村とは少し異なる伝説が残ります。ここでは2人の鬼は両方とも男の鬼で、下北山のように夫婦というわけではありません。洞川の人々は、とくに後鬼の子孫として伝えられ、修験の聖地、山上ヶ岳への玄関口を守り続けてきました。世界遺産にも登録された大峯奥駈道は、このような先祖代々の誇りを受け継ぐ人々によって、いまも守られています。

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