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勝手に奈良検定

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第95回 勝手に奈良検定

問題1

この塚は、空から〝ある野菜〟と一緒に落ちてきたあるものを祀るために建てられたと伝えます。さて、それは次のどれでしょう。

1.般若の面と唐辛子
2.翁の面とネギ
3.おかめの面と大根
4.ひょっとこの面とナス

第95回 勝手に奈良検定

正解

正解は、2の「翁の面とネギ」。

写真の塚は磯城(しき)郡川西町結崎(ゆうざき)にある「面塚」です。現在、川西町役場の南を流れる寺川の堤の下、宮前橋を渡ったところに建っています。また、面塚のすぐそばには、この地が観世流能がおこった地であることを示す「観世発祥之地」の碑が建っています。

実は結崎は、南北朝時代に能楽を確立した能楽の祖・観阿弥(1333~1384年)が居を構えた、知る人ぞ知る能楽とたいへんゆかりの深い地です。能が確立される以前、大和国では猿楽が盛んでしたが、大和の猿楽には「大和四座」と呼ばれる4つの座があり、観阿弥はそのうちの1つ、結崎座を牽引し、猿楽を一般にもわかりやすい芸能に改革しました。やがて名前も「観世座」に改め、京の都に進出し、将軍足利義満の厚い庇護を受けて能楽を大成したのです。

面塚は、そんな能楽発祥の地ならではの伝承に基づく石碑です。それは室町時代のある日のこと。空から大音響とともに、翁の面とネギの束が落ちてきました。そこで村人は翁面を祀る面塚を建て、畑にネギを植えてみると、ネギは実によく育ち、のちの「結崎ネブカ」になったといいます。この言い伝えは、観阿弥を称え特産物のネギを誇るもので、江戸時代にできたと考えられています。現在の面塚は、後世に荒れていた塚を、昭和11(1936)年、地元名士の働きかけと京都観世会の協力を得て建て直したもの。春には塚周辺は桜並木となり、桜吹雪が舞う花舞台となります。

問題2

東大寺の戒壇院に祀られる四天王のうち、文房具をもっているのは、さて、次のどれでしょう。

1.持国天
2.増長天
3.広目天
4.多聞天

正解

正解は、3の「広目天(こうもくてん)」。

奈良は仏像の宝庫。なかでも東大寺の戒壇院の四天王は、人気の高い仏像の1つです。仏像は大きく「如来」(悟りを開いた者)、「菩薩」(修行中の者)、「明王」(煩悩を焼き払う者)、「天部」(仏教世界を守護する者)に分けられ、四天王は最後の天部に分類されます。

天部はもともとインドの神でしたが、仏教に帰依し、組み込まれ、やがては仏教の守護者となったものです。四天王は釈迦の修行時代からの守護者とされ、それぞれ守るべき方角が決まっています。持国天は東、増長天は南、広目天は西、多聞天は北を守護します。またそれぞれ例外や時代的な差はあるものの、一般的には、持国天と増長天は武具を、多聞天は塔と戟(げき)を持っています。四天王のうち、唯一武器を持っていないのが広目天です。広目天は魔を言葉で調伏するとされ、左手に巻物を、右手に筆を持った姿で表されることが多いようです。

また広目天はサンスクリットでは「ビルバクシャ」といい、「尋常ならざる眼をもつ者」との意味があります。尋常ならざる眼とは、すなわち、何ものをも見通す目。東大寺の戒壇院の広目天像は、眉間に皺をよせ、遥か彼方を見通すような目が印象的です。歌人・會津八一もその眼差しに惹きつけられたのでしょう。次のような歌を遺しています。「びるばくしゃ まゆねよせたる まなざしを まなこにみつつ あきののをゆく」 (参照:山と溪谷社『仏像』ほか)

問題3

平成24年に制定された奈良県の「県のさかな」。さて、鮎とアマゴ、あともう1つは次のどれでしょう。

1.ヤマメ
2.緋メダカ
3.鯉
4.金魚

正解

正解は、4の「金魚」。

県のさかなは、平成24年6月に制定された比較的新しい県のシンボルです。ちなみに県の鳥はコマドリ、県の花は奈良八重桜、県の木はスギとなっています。県のさかなの鮎やアマゴは、いずれも良質な水に生息するデリケートな魚たち。奈良県の南部を中心とする山間部では、鮎釣り、アマゴ釣りも盛んに行われています。とくにアマゴは「アメノウオ」の別名でも親しまれ、その美しさ、おいしさから、「川魚の女王」とも称されます。

もう1つの金魚は、奈良市の南に位置する大和郡山市の特産です。そもそも金魚が日本にもたらされたのは、室町時代の中ごろ、文亀2年(1502)といわれています。しかし渡来当時は、上層階級の人々の愛玩動物にすぎませんでした。大和郡山市の金魚養殖の歴史は、江戸時代、享保9年(1724)に甲斐国から入部した柳澤吉里に遡るといわれています。古くから溜め池の多い奈良盆地では、池の水質や栄養分が金魚の生育に好条件だったことが幸いし、金魚養殖は年々盛んになりました。幕末前後には、最後の藩主・柳澤保申候の援助により、家計に窮した藩士や元藩士らの副業として盛んに行われたといいます。

明治になって、金魚は庶民の間でも親しみやすい愛玩魚になっていきました。一時は海外にも盛んに輸出されましたが、近年は水質の悪化により生産量が減っています。とはいうものの養殖農家は約60戸、養殖面積約90ヘクタール、年間の販売数は約6165万匹。市内には、いまでも一面の金魚池が広がり、近くを流れる川には、養殖池からあふれた金魚が泳いでいる姿をよく見かけます。また市内には金魚をモチーフにしたさまざまなデザインが溢れ、そのさまは、まさしく金魚の街。夏には「全国金魚すくい選手権大会」も開催され、多くの参加者で賑わっています。 (参照:大和郡山市ホームページほか)

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