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勝手に奈良検定

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第108回 勝手に奈良検定

問題1

写真の場所と関係のないものは、さて、次のどれでしょう。

1.アメノウオ
2.松山城
3.ごろごろ水
4.龍泉寺

第108回 勝手に奈良検定

正解

正解は、2の「松山城」。

まず写真の場所はどこでしょうか。石碑に刻まれた「依是(これより)女人結界」(女性の立ち入り禁止)の言葉から、ある程度、想像がつきますよね。現在も女人結界の定めが生きている場所といえば、修験道の聖地で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」でもある大峯山山上ヶ岳です。山上ヶ岳の登山口には、大峯大橋、五番関、阿弥陀ヶ森、レンゲ辻のそれぞれに女人結界門が建てられており、これらのことから天川村・川上村・黒滝村などの村の名前が連想されます。

選択肢を見ていきましょう。1の「アメノウオ」は、アマゴのこと。奈良県では吉野地方の清流に生息し、大峯山脈から流れ下る渓谷に見られます。「天女魚」(アメノウオ)と称され、渓流釣りが人気です。2の「松山城」は、宇陀市大宇陀の松山地区にあるお城です。もとは宇陀を掌握していた秋山氏の本城で、当初は秋山城といいましたが、江戸時代初期に福島氏の居城となり、松山城と改名しました。城下町は現在重伝建地区として町並みが保存されています。

3のごろごろ水は、天川村洞川にある湧水群をなす湧水の1つで、名水百選にも選ばれています。花崗岩と石灰岩の特異な地層から湧き出す水は、ミネラル分を適度に含むおいしい水として知られます。4の龍泉寺も天川村洞川にあり、大峯山に登る修験者が必ず立ち寄り、水行場で身を清める寺です。すなわち、3、4は天川村にある場所で、1のアメノウオは天川村の特産品の1つ。つまり、2の松山城のみ天川村と関係のないことがわかります。ちなみに写真の結界門は天川村洞川温泉から東へ2.5㎞ほど行ったところにある大峯大橋付近にあります。温泉街から向かう途中には、かつての結界があった母公堂(ははこどう)があり、いまも女人禁制を示す石碑が残されています。

問題2

3月25日からはじまる薬師寺の花会式(はなえしき)。10種類の造花が飾られ、法要を彩ります。次のうち、10種類の組み合わせが正しいものは、どれでしょうか。

1.梅・桜・桃・雪柳・椿・石楠花(しゃくなげ)・藤・牡丹・蓮・木蓮
2.梅・桜・橘・雪柳・椿・杜若(かきつばた)・藤・牡丹・菊・水仙
3.梅・桜・桃・山吹・椿・杜若・藤・牡丹・菊・百合
4.梅・桜・橘・山吹・椿・石楠花・藤・牡丹・菊・水仙

正解

正解は、3の「梅・桜・桃・山吹・椿・杜若・藤・牡丹・菊・百合」。

花会式は、正式には「薬師寺修二会(しゅにえ)」と呼ばれ、薬師如来に1年の罪を悔い、国家安穏・五穀豊穣・万民豊楽(ぶらく)を祈る薬師悔過(けか)法要です。『続日本紀(しょくにほんぎ)』には天平16年(744)には聖武天皇が薬師悔過を命じたとあり、その起源は1200年以上も前にさかのぼることができます。現在も10人の僧侶が7日間にわたって精進潔斎の生活を送り、1日6度の悔過法要を繰り返し、最終日には鬼追式も行われます。

この薬師悔過法要を「花会式」と呼ぶのは、薬師三尊像の前に飾られる造花に由来します。嘉承2年(1107)、堀河天皇が皇后の病気平癒を願い薬師悔過を修したところ、病が快復したことから、皇后は大いに喜んで女官とともに造花を作り、薬師如来に献花したことに始まるといいます。ちなみに造花の花びらなどは、かつては薬草を用いて染められたため、法要が終わったあとに、人々は病に応じて造花を持ち帰り、服用しました。

造花を作っているのは、奈良市の2軒のお宅です。できるだけ自然の素材を用い、紙を染めるところから始める丁寧な作業が明治以降継承されてきました。仕事は実に細かく、たとえば同じ花でも咲き具合の異なる花を作ったり、葉の「しわ」や葉脈、反り具合などこと細かに表現するなど、本尊に飾られるそれはまさに本物と見まごうばかり。ようやく暖かくなりはじめた3月のお堂に、ひと足もふた足も早く、四季折々の花々が咲き乱れます。花会式期間中はこの造花を間近にすることができるので、ぜひ参拝されてはいかがでしょう。花会式は3月25日~31日(最終日に鬼追式)に行われます。

問題3

毎年春分の日、奈良市の菅原天満宮で行われる祭神にちなんだお祭りとは、
さて何でしょう。

1.硯(すずり)まつり
2.筆まつり
3.紙漉きまつり
4.墨まつり

正解

正解は、2の「筆まつり」。

奈良市菅原町にある菅原天満宮は、学問の神様・菅原道真公を祀る神社です。道真公の曾祖父にあたる菅原古人(ふるひと)は、もとは土師古人(はじのふるひと)といい、この地で土師器や埴輪を制作していました。やがて桓武天皇から菅原姓を賜り、文章博士(もんじょうはかせ)、大学頭(だいがくのかみ)として、朝廷に仕えました。

子孫である菅原道真もこの地の生まれと伝えられ、天満宮の東にある天神堀には、道真公の産湯に使われたとの伝承も残ります。5歳で和歌を、11歳で漢詩を読み、右大臣にまで登り詰めた道真公は、能筆家としても知られ、平安時代末期の『夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)』には、空海、小野道風とともに書の「三聖」と記されています。菅原天満宮では、この道真公にちなんで筆まつりを開催、使い終わった古い筆を焚き上げて供養を行います。この日、境内では、書の実演が行われ筆つくり体験もでき、大勢の参拝者で賑わいます。

ところで、書に欠かせない道具といえば、筆をはじめ墨、紙、硯など、大陸から伝わったさまざまな筆記用具が思い浮かびます。奈良には古代、朝廷はもちろんたくさんの社寺も置かれたことから、墨や筆の消費量も格段に多く、筆記用具の生産が盛んになりました。特に墨や筆はその質の良さから、全国的に知られた特産品となり、いまも墨は全国シェアの90%を占め、また筆は広島や愛知と並び生産の盛んな地の1つに数えられています。そして紙は吉野の手漉き和紙。大海人皇子が伝えたという昔ながらの手漉き和紙は、1枚1枚天日に乾され、厳冬期の吉野の風物詩となっています。ちなみに硯の素材としては、熊野の「那智黒石」が知られました。

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