奈良の地域情報を発信!

ホーム > 歴史・文化 > 勝手に奈良検定 > 第116回 勝手に奈良検定

勝手に奈良検定

第116回 勝手に奈良検定

問題1

写真の石があるのは、いったいどこでしょう。

1.高取山
2.橘寺
3.光永寺
4.吉備姫王墓

第116回 勝手に奈良検定

正解

正解は、2の橘寺。

写真の石の名称は「二面石」です。1つの石に2つの顔が彫られており、人間がもっている「善」と「悪」の両面を1つの石に刻んだといわれています。二面石があるのは、明日香村にある橘寺。橘寺は聖徳太子創建七ヵ寺の1つに数えられ、天武天皇9年(680)にはすでに寺として成立していたことが、記録からわかっています。

同系列の石は他でも見られます。高取山には、高取城に向かう道の途中に、くりくりとした目が可愛い猿石があります。吉備姫王墓に置かれる4体の猿石と同じときに造られたと考えられていますが、王墓の猿石の方はミステリアスな表情が特徴です。光永寺は高取町の土佐街道沿いにあるお寺で、ここには長い顔、突き出た顎が特徴の人頭石が置かれます。明日香村や高取町はこれらをはじめとする石造物の宝庫です。

問題2

生駒市にある宝山寺は「生駒の聖天さん」と呼ばれます。この呼び名のもとになったのは、次のどのみほとけでしょうか。

1.弁財天
2.多聞天
3.歓喜天
4.吉祥天

正解

正解は、3の歓喜天。

歓喜天はもともとはガネーシャというヒンズー教の神で、頭は象、体は人間の姿で表わされます。たいへんな暴れ者でしたが、象頭の女天の姿になった十一面観音菩薩に魅せられ、観音も慈悲の心でガネーシャを受け入れたため、暴神と観音とが抱き合う歓喜天として仏教に取り入れられました。男女和合、子授けの福神として、またよくない出来事を滅却する力があることから、商業や芸能の神としても祀られました。生駒市の宝山寺は、生駒の聖天さんとして信仰を集めています。

弁財天は芸能の神、水の神で近世には七福神の1体ともなりました。天川村の天河大辦財天がよく知られます。多聞天は四天王の1体で、多宝塔を捧げ持った姿で表わされ、単独では毘沙門天とも呼ばれます。吉祥天はその毘沙門天の妻とされる福徳の女神です。これら天部の仏は仏法を守護し現世利益に功徳があるとして、庶民から親しまれました。

問題3

幕末から明治にかけ、絵師、一刀彫師、狂言師として名を馳せた人物とは、次の誰でしょう。

1.森川杜園(もりかわとえん)
2.岡野松寿(おかのしょうじゅ)
3.富本憲吉(とみもとけんきち)
4.奥田木白(おくだもくはく)

正解

正解は、1の森川杜園

森川杜園(文政3年〈1820〉~明治27年〈1894〉)は、絵師、奈良一刀彫師、大蔵流狂言師として多彩な活躍をした人物です。絵師・内藤其淵(きえん)に絵を、岡野家に一刀彫を学び、以後、国学者・穂井田忠友、奈良奉行・梶野良材(よしき)、郡山藩主・柳沢保申(やすのぶ)、勤王の志士・伴林光平など、数々の人物と交流を持ちました。狂言師としての経験を生かした狂言「融(とおる)」の置物や、古仏や正倉院宝物の模造など秀逸な作品が遺されています。

岡野松寿は一刀彫の岡野家の代々の号で、特に9代目保伯は名工といわれます。富本憲吉(明治19年〈1886〉~昭和38年〈1963〉)は陶芸家。器に施された色彩豊かな文様は有名。昭和30年(1955)には日本初の人間国宝に認定されています。奥田木白(寛政12年〈1800〉~明治4年〈1871〉)は、幕末から明治初めにかけての陶工で、赤膚焼を再興したことで知られています。

問題一覧

奈良お取り寄せ手帖 ~スイーツ編~

奈良にもある今話題の“クラフトコーラ”

このページの先頭へ

Copyright © NANTO BANK,LTD All Rights Reserved.