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高取城・土佐街道 その2 旧高取藩筆頭家老屋敷から壷阪へ

掲載日:2010年6月21日

旧高取藩筆頭家老屋敷長屋門から高取城までは、片道1時間の険しい山道を登ります。かつてこの道は、お城と下屋敷とを行き来する藩主や藩士たちが通った道。時が移り、ハイカーたちに親しまれる登山道となりましたが、至るところに苔むした石垣に、歴史の重みを感じ取ることができます。

旧高取藩筆頭家老屋敷長屋門~砂防公園~宗泉寺(そうせんじ)分岐~七曲がり~一升坂~二ノ門跡~本丸跡~壷坂門~五百羅漢~壷阪寺~壺阪山駅(約3時間)

今回はいよいよ日本三大山城の一つ、高取城を目指します(他、美濃岩村城:岐阜県、備中松山城:岡山県)。高取城のスケールを知るためにまず夢創舘に立ち寄り、奈良産業大学制作のCGグラフィックでの再現動画を見ることをおすすめします。時間は15分程度ですが、これから登る高取城をよく知ることができます。土佐街道を進み、家老屋敷前の道をさらに過ぎると、やがて川のほとりにきれいに整備された砂防公園が現れます。この地で生まれた俳人・阿波野青畝(あわのせいほ)の句碑が建ち「満山のつぼみのままの躑躅(つつじ)かな」の句が刻まれています。

さて、ここからがハイキングコースです。山道では、虫が出やすいので「服装や装備には十分注意して下さい」と「たかとり観光ボランティアガイドの会」からのアドバイスです。砂防ダムを左に見て、坂を登り宗泉寺への分岐に向かいましょう。宗泉寺は藩主植村氏の菩提寺です。分岐を通り過ぎ、さらに進めば、「七曲がり」です。山道はどんどん急になっていきます。通称「一升坂」の曲がりくねった急坂をひたすら登っていきます。息も絶え絶えになったころ、高取城の二ノ門にたどり着きます。二ノ門の前には、明日香から運ばれたという猿石が訪れる人を出迎えてくれます。

猿石に別れを告げ、いよいよ高取城の中に入ります。かつて「芙蓉城(ふようじょう)」と称えられた白亜の城壁は今は残っていませんが、ところどころに残っている苔むした石垣からは、かつての壮麗さが偲ばれます。夢創舘で高取城の地図を入手しておけば、お城のスケールや、自分がいまどのあたりを歩いているかがわかってよいでしょう。高取城へ行く途中、道を30mほどそれて、国見櫓(くにみやぐら)の展望台へ向かえば、大和の国を一望できるパノラマが広がります。展望を楽しんだら来た道を戻り、高取城の本丸跡へ向かいましょう。壷阪寺からの道と合流したら、本丸跡はすぐそこです。くねくね曲がった道を進んでたどり着けば、南側に吉野の山々を望むことができます。

吉野の展望に別れを告げ、道を下りましょう。三の丸跡付近で壷阪寺へ行く道の先から壷坂口門を出て、壷阪寺を目指します。お寺までは約2kmの下りです。寺のちょうど裏手の山の岩に五百羅漢が刻まれ、さらに下れば、壷阪寺の大観音像が出迎えてくれます。壷阪寺は眼病封じで名高いお寺です。西国三十三所六番札所としても知られ、春は境内をラベンダーが彩り、秋の紅葉も見事です。山を下りきれば、再び土佐街道に合流します。なお壷阪寺からは壺阪山駅までバスも出ています。


高取城への道

苔むす石垣

国見櫓からの展望

城跡にのこる瓦

本丸跡付近

壷阪口付近
  

日本一の規模を誇る山城-高取城-

高取城は、1580年代に豊臣秀長の重臣、本多氏によって本格的な近世の山城として整備された山平城(やまひらじろ)です。大天守と小天守、27の櫓(やぐら)、33の門を持ち、幾重にも曲輪(くるわ)のつらなった構造をしています。往時の城郭内面積は約6万平方m、周囲約30kmに及び、その規模は日本一を誇りました。戦国・江戸と生き抜いたこの城も、明治以降廃城となって城は解体され、廃墟同然になっていきました。建物は失われましたが、人里から離れていたことが幸いし、遺構そのものはほぼ完全に残されており、昭和28年に国の史跡に指定されました。春の新緑、秋の紅葉が苔むした石垣に映えて、独特の美しさを醸し出します。


紅葉の高取城址


紅葉の錦に彩られた石垣


紅葉の壷阪寺

《土佐街道の情報・問い合わせ》

観光案内所「夢創舘」
9時30分~16時30分。月曜休館。
〒635-0152 高市郡高取町上土佐20-2
TEL0744-52-1150
http://www4.kcn.ne.jp/~musoukan/

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