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下ツ道 その3 近鉄笠縫駅から近鉄耳成駅まで

掲載日:2011年12月30日

笠縫駅の東側を通る下ツ道を藤原宮跡に向けて歩きます。おふさ観音まで南下し、そこから東側にある、藤原宮跡を目指します。足に自信のない方は、近鉄大和八木駅から歩くことをお勧めします。

近鉄笠縫駅~多神社鳥居前~善福寺~須賀神社~信長大明神~近鉄新口駅~八木札の辻~春日神社~延命院~八幡神社~おふさ観音~藤原宮跡~近鉄耳成駅(約3時間)

笠縫駅の集落を抜けると、道は寺川沿いに南へ延びています。のんびりとした、気持ちのよい川沿いの道です。西を見ると二上山がきれいに見えています。しばらく川沿いに歩くと、多神社の立派な灯篭と鳥居が見えてきます。さらに南へ進めば、近鉄新ノ口駅で、この辺りから家々がだんだんと増えてきます。

新口の善福寺には、近松門左衛門の人形浄瑠璃で名高い梅川・忠兵衛の供養碑が建っています。『冥土の飛脚』に描かれる新口村道行の舞台となったところです。新口の集落には古い民家が数多く並んでいます。集落の中の道は細く入り組んでいて、大和の伝統的な集落のままです。細い入り組んだ道を迷いながら西に進めば、立派な神社が見えてきます。これが須賀神社です。神社の南には「信長大明神」という祠がありました。信長といわれると織田信長を連想しますが、祠の由来については不詳です。

新口駅に戻り、下ツ道をさらに南下します。街の中に埋もれるように道はさらに続いています。近鉄大阪線を越えたあたりから、八木の街です。古い町家が街道沿いに並びます。
八木の札の辻は竹之内峠から続く横大路と下ツ道が交差するところです。ここから東に進めば桜井、そして初瀬街道に続きます。

古い町並みはおふさ観音近くまで続きます。この界隈も新口の集落のように細い道が入り組み、デパートや商店街がならぶ八木駅周辺の賑わいとは異なる別世界がひろがっています。道沿いの商店は伝統的な家屋が多く、「ウダツ」もところどころに見えています。おふさ観音はバラのシーズンでは多くの参拝者で賑わいます。境内を埋め尽くすバラの鉢植えがみごとです。寺の前の道を東に進み、国道165号線の大きな道路を渡れば、藤原宮跡はもうすぐです。

藤原宮跡はいまも広大な遺構を残し、かつてここに建物があったことを示す朱塗りの柱が建てられています。北を耳成山(みみなしやま)、西を畝傍山(うねびやま)、東を天香久山(あまのかぐやま)の大和三山に囲まれ、後方には三輪山、二上山、葛城山、金剛山を望み、南には聖なる地・吉野が開けます。ここに立てば、日本初めての本格的な都を築くのにふさわしい土地であったことがよくわかります。宮跡のベンチに腰をかけ、しばしこの景観を楽しみましょう。

宮跡からは北へ向かいます。広々とした田園風景を楽しみながら、JR線を越え、国道を越え、さらに八木の札の辻から続く横大路を越えれば、近鉄耳成駅はもうすぐです。


多神社の灯篭と鳥居

のどかな川岸の風景

梅川・忠兵衛供養碑

信長大明神

札の辻

おふさ観音

藤原宮跡の風景
 

大和三山にまつわる万葉歌―中大兄皇子と大海人皇子と額田女王―

香久山は畝火を愛しと 耳梨と相争ひき 神代よりかくにあるらし
いにしへも 然(しか)にあれこそ うつせみも嬬(つま)を争ふらしき
中大兄皇子

この歌は、耳成山、畝傍山、天香久山の山の神々の恋をめぐる争いを詠んだものです。これとは別に、耳成山のふもとには、2人の男性に求婚され、どちらを選ぶこともできず池に入水してしまう美しい娘の伝説も残ります。美女とその求婚者が織りなす恋の綾は、このように古代から伝承や文学のかたちで表されてきました。ところで、歴史上よく知られる中大兄皇子と大海人皇子と額田女王をめぐる恋争い。中大兄皇子が詠んだ歌は、伝説に自らの思いを重ねたもののようです。額田女王はさぞや美しい女人だったのでしょう。はじめに大海人皇子の妃であった彼女は、後に中大兄皇子の妃になります。


耳成山


香久山


畝傍山

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