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奈良街道(竜田道)その1 ~奈良から大和郡山へ~

掲載日:2012年11月30日

竜田越奈良街道と呼ばれる竜田道は、奈良の三条通りから出発しています。奈良街道という名称はいくつかありひとつの道に特定されず、奈良へ通じる道はすべて奈良街道を言ってもよいほどです。有名な暗峠越えのルートもありますが、今回は大和郡山城下を経て竜田越えにつながる法隆寺まで2回に分けて歩きます。開発された街の中にも、古い街道の痕跡が残されています。静かに歴史を感じながらたどることができる道です。

JR・近鉄奈良駅~三条通~もちいどの商店街~もちいどの弁財天~徳融寺~京終駅~大安寺~八幡宮~辰市倭文神社~杏町(からももちょう)~九条公園~奈良口町~本町~大和郡山城~近鉄郡山駅(徒歩約3時間30分)

奈良の三条通りは春日大社への参道として知られていますが、猿沢池の西、もちいどの商店街の入口が奈良街道(竜田越奈良街道)の出発点になります。以前はこのあたりに道路元標があったといわれています。商店街に入ってすぐ、ビルの谷間に「もちいどの弁財天」があります。さらにしばらく歩けば春日大社の大宿所で、「春日若宮おん祭」のときには多くの人で賑わいます。

南へ進み、鳴川町に入ります。鳴川観音の小さな祠が道沿いにあり、祠を覗いてみると、中には美しい千手観音が祀られています。その先にある徳融寺は中将姫の伝説の残る寺で、すぐそばには中将姫誕生の地と刻む石碑もあり、この周辺は中将姫伝説に彩られています。JR桜井線の京終(きょうばて)駅の近くの踏切をわたり、さらに進んでいくと大型ショッピングセンターがあります。道はその南側を通り、西へ向かいます。

南都大安寺は、かつては巨大な寺院でしたが、今はかつての境内の跡地の一角に建っています。大安寺の南には八幡宮があり、「元石清水八幡宮(もといわしみずはちまんぐう)」とも言われています。京都の石清水八幡宮は南都大安寺の僧・行教律師が平安時代初期に八幡神の神託により造営され、大安寺の八幡宮が遷宮した神社と言われています。そのもともとの鎮座地に、今の八幡宮が建てられたのです。神社の本殿には八幡神の使いである鳩の置物が数多く奉納されているのが印象的です。鬱蒼と樹々が生い茂る八幡宮の参道の南側には大安寺の塔の礎石が残り、発掘調査も行われています。

八幡宮からは辰市へ向かいます。ここは戦国時代、筒井順慶と松永・三好勢が戦い、大和最大の戦いといわれる辰市城の合戦が行われたところです。辰市には古い神社が3社残り、国道や大型ショッピングセンター近くにありながら古い時代の名残を感じさせます。辰市からの街道と国道24号線が交わる交差点は杏(からもも)町といいます。一見では読めない漢字です。奈良にある難解な地名の1つでしょう。

佐保川を渡れば、ここから大和郡山市に入ります。この付近はかつての平城京の南の端にあたり、九条公園からは富本銭(ふほんせん)という和同開珎(わどうかいちん)よりも古いとされる貨幣が発見されました。秋篠川を越えた奈良口町の入口には、伊勢神宮の遥拝所と大きな灯籠や古い町家が今も残っています。街角の古い道標を過ぎ、外堀を渡って本町の古い町家を見ながら歩けば、やがて郡山城の石垣が見えてきます。ここは筒井順慶が築城、のちに豊臣秀長が入城し、さらに江戸時代には柳沢家が治めた15万石の城下町なのです。


もちいどの弁財天

徳融寺

大安寺の僧坊礎石跡

元石清水八幡宮の本殿

大安寺南側の発掘現場

八条町岩井川沿いの地蔵堂

辰市倭文神社のご神木

奈良口町の灯籠と伊勢神宮遥拝所

奈良口町北側の古い道標
   

奈良街道の道端の仏たち

古街道を歩く目安として、古い灯籠や道標、道端の仏たちを挙げることができます。古い道標は残っている道、まったく見かけない道などさまざまなですが、灯籠や地蔵の祠などは残されているものも多くあります。鳴川町の道沿いにある鳴川観音の小さな祠、八条町の地蔵の祠、大安寺の大型ショッピングセンター前の地蔵の祠、さらには佐保川の土手の上や奈良口町の北側など、この奈良街道(竜田道)にもたくさんの仏たちを目にすることができます。何気なく道端に残されたように見える仏たちですが、実は歴史の大きな変動のなか、人々の篤い信仰心によって残されたもの。歴史の影を残している古街道は、今と昔を結ぶ場所なのかもしれません。


ならまちにある鳴川観音


奈良口町北側の地蔵

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