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奈良街道(竜田道)その2 ~大和郡山から法隆寺へ~

掲載日:2012年12月28日

大和郡山城の城下町を過ぎると、道は南西の方角へ延びていきます。小泉城があったJR大和小泉駅の西を通り、法起寺、中宮寺、法隆寺のある斑鳩の里へ向かいます。郡山の金魚池や神社、古い城下町や寺院、そしてのどかな田園地帯を満喫できる道です。

近鉄郡山駅~柳町通り~郡山八幡神社~金魚池前の道標~甲斐宮~池之内町~九頭神池~慈光院前~庚申堂金輪院~小泉神社~法起寺~国史跡中宮寺跡~法隆寺東院の南~法隆寺南大門前~法隆寺道標前(徒歩約3時間)

近鉄郡山駅から商店街を東に歩いていくと、南北に延びる柳町通りと交差します。この道は下街道で、南へ下れば筒井の町に向かいます。郡山八幡神社のすぐ南の辻を西へ進みましょう。昔ながらの狭い道が続きます。近鉄線の踏切を渡りしばらく行くと、左手に金魚池が見えてきます。分かれ道を左にとり、金魚池の畔の古い道標を過ぎてさらに南へ進むと、あたりは一面の金魚池となります。金魚の生産地として知られる大和郡山市ならではの風景で、池には赤い金魚がたくさん泳いでいます。金魚池を見ながら西のこんもりとした杜を目指して歩けば、田中町の甲斐宮に出ます。

田中町の集落を過ぎると、歩道がなくなるので注意が必要です。車道は大きく右に曲がっていきますが、車道を避け、池之内町の中を通っていきましょう。集落の外れで道を西にとり、大和中央道の大きな道を渡ります。やがて九頭神池の彼方に、石州流の茶道で名高い慈光院が見えてきます。池の回りは遊歩道が整備され、のびのびとした空間が広がっています。富雄川を渡れば慈光院ですが、その手前で道は南に曲がります。古い街道の痕跡が色濃く残る道沿いには、途中、庚申堂金輪院があります。門前の石碑に「一国一宇」と深く刻まれているのが印象的です。また周辺の民家の玄関先には、ならまちでもよく見られる「身代わり猿」が下げられています。

城下町特有の直角に曲がる見通しの悪い道の先には、小泉神社があります。小泉城の南端にあたる小泉神社には石段を登って参拝します。この神社南方の民家の塀沿いにある道標で道は二手に分かれ、南下する道は天理からの業平道と業平橋で合流、もう1つの道は聖徳太子ゆかりの法起寺へ向かいます。

法起寺への道は田畑の中を通ることになります。道は途中でなくなったり、合流したりしながら法起寺へ続きます。法起寺から南へ向かい、史跡・中宮寺跡を目指しましょう。現在の中宮寺は、法隆寺に寄り添うように建っていますが、かつてはこの地で多くの伽藍が栄華を誇っていました。今は広大な野原のような中宮寺跡ですが、基壇の跡がはっきりと残り、かつての威容を想像させます。国道25号に出ずに、西に向かう細い道をたどれば、法隆寺夢殿や現在の中宮寺のある東院の南側に出ることができます。古い家並みを眺めながらさら進むと、法隆寺南大門の前です。ここからは、業平橋から竜田大橋へ向かう道へと続く、法隆寺前の松並木が遠くまで見通せます。


郡山八幡神社

金魚池前の道標

慈光院

庚申堂金輪院

小泉神社への階段

民家の前にある道標

法起寺への道

史跡中宮寺跡

法隆寺南大門前の松並木
   

大和小泉界隈

大和国は戦国時代には城が乱立していたのですが、しだいに整備され江戸時代には大和国の城といえば大和郡山城のみになりました。大和小泉にはかつて片桐且元の小泉城(片桐城)がありました。町のはずれに近い小泉神社は、城の南端にあたります。神社の門は小泉城の後継である小泉陣屋の門を移築したものです。小泉神社の北側には、今もなぎなた池やお庭池、外堀の跡など、城の遺構が残っています。城下には、万治2年(1659)に創建された庚申堂金輪院があります。大和国の庚申信仰の総道場として知られ、江戸時代、庚申縁日には門前市が開かれていたそうです。その山門の上部に施された見事な彫刻は、当時の名残といえるでしょう。
古い街道沿いには想像以上の歴史が残されています。ただ、通り過ぎただけではわからない魅力を、街道は秘めているのです。


小泉神社の門


庚申堂金輪院山門上部の彫刻

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