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奈良大和路 古街道ウォーキング

横大路を歩く(慈恩寺追分の辻から八木まで) その1 ~現代に残る歴史の証人たち~

掲載日:2013年7月1日

横大路・竹内街道が造られてから、今年で1400年目を迎えました。古代の官道(国道)第1号として都と難波の港を結ぶ路が整備されたのは推古天皇の時代です。「難波(なにわ)より京(みやこ)に至る大道を置く」という記述が日本書紀に見られるのです。また、古い伝説には、大和には大蛇がおり、頭が大神神社、その胴体は大和高田市の竜王宮に、そして尾は葛城市の長尾神社にあったといわれ、横大路は古代の国道第1号という史実とともに、伝説の道でもあるのです。

近鉄朝倉駅~素盞鳴神社~慈恩寺追分の辻~宇陀ヶ辻~桜井駅前~寺川小西橋~JR香久山駅前~三輪神社~耳成山~八木札の辻~八木札の辻交流館~センタイバ~太神宮燈籠~橿原ナビプラザ~近鉄大和八木駅(徒歩約3時間)

近鉄大和朝倉駅は静かな住宅地への入口という風情の駅ですが、その東のこんもりとした森の中に、岩をご神体とする素盞鳴(すさのお)神社がひっそりとたたずみます。神社の拝殿の背後にある大きな岩は古代人の信仰の一端を見せてくれています。初瀬川を渡ると旧街道です。この付近は初瀬街道といわれ、旧街道を感じさせる古い家々が残ります。慈恩寺地区の追分の辻で、奈良から南に下ってきた上街道と竹内街道から続く伊勢街道(横大路)が出合います。追分の辻にある民家の軒先に、まるで歴史の証人のように道標が建っています。再び初瀬川を渡り近鉄線をくぐれば宇陀ヶ辻で、ここからは女寄(めより)峠を越えて宇陀へ行くことができます。宇陀ヶ辻を過ぎると道はしだいに細くなり、重厚な屋根をもつ古い民家もみられます。

町を過ぎ、寺川にかかる小西橋のたもとからは道はほぼまっすぐに、さらに西へ続いていきます。横大路という道はここから長尾神社までの直線の道だといわれています。時代とともに伊勢街道とも呼ばれ、初瀬を通り、榛原から伊勢に向かうルートの一部になりました。近世まで賑わっていた街道筋には多くの地蔵や庚申塔が残され、道はやがてJR桜井線の踏切を渡ります。古代の官道の1つ、中ツ道と交差する場所には、大神神社と同じ神を祀る三輪神社が鎮座しています。江戸時代、嘉永元年(1848)の「西国三十三所名所図絵」に描かれた大きなケヤキの樹は、いまも神社を守っているようです。神社のすぐ西にある地蔵堂の背後には古代寺院に用いられたという面堂の礎石があります。この付近はすでに古代の都、藤原京の中に入っているのです。

三輪神社を過ぎると古街道の面影は薄れ、耳成山を見ながら現代の住宅地の中を歩けば、やがて八木の街に入ります。八木札の辻周辺には江戸時代の面影を残す古い町家が多く残されている一方、奈良県立畝傍(うねび)高校の校舎に代表される近代の洋風建築もみられます。大和八木駅の南口駅前広場は平成20年に整備事業が終わり、近代化された街並に生まれ変わっています。その近代化された街並の中に太神宮燈籠があります。かつて伊勢に向かう人々を接待した、「センタイバ(接待場)」に建てられていたものを移築したものです。新しく生まれ変わり発展していく街を、古い歴史の証人が見守っています。


素盞鳴神社の磐座

追分の辻の道標

宇陀ヶ辻に建つ石碑と
御陵道の道標

小西橋のお堂

JR桜井線、香久山駅近く

三輪神社とケヤキの大木

耳成山
 

歴史の交差点~八木札の辻交流館とかしはらナビプラザ~

橿原といえば、橿原神宮や神武天皇陵が名高いのですが、ここ、八木札の辻は古くから八木の町の中心であり、古代の官道である「下ツ道」と「横大路」が交わるところ、古代から常に交通の要衝として栄えた場所です。

八木札の辻にある「八木札の辻交流館」は、古い旅籠を整備して内部を無料公開しており(月曜以外見学可)、常駐の職員の方の説明を聞くことができます。また、近鉄八木駅南口には橿原市観光交流センター「かしはらナビプラザ」があり、橿原市の観光はもとより奈良県中南和地方の観光の情報発信基地として物産等の展示販売も行っています。観光の際はぜひ立ち寄りたいところです。


八木札の辻交流館


交流館の2階客間


橿原ナビプラザ外観


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