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横大路を歩く(八木今井町から長尾神社まで) その2 ~古い町に残されたもの~

掲載日:2013年8月1日

横大路沿いにある今井町はかつて「大和の金は今井に七分」と言われ、中世から江戸時代にかけて繁栄しました。今も残る城塞都市としての面影は、今井町を訪れる人々を中世や近世の日本に連れ戻してくれます。また、大和高田は江戸時代、寺内町として商業の町として発展しましたが、今井町のように城塞都市ではなく街道沿いの町で、近代にかけても発展を続けました。横大路沿いの古い町は、時代の変遷とともに残された姿や移りゆく姿を、私たちに見せてくれるのです。

近鉄八木西口駅~蘇武橋~今井町~今井まちなみ交流センター「華甍」~旧環濠復元~曽我町~曽我川たもとの道標~大和高田城跡~大中公園~尺土春日神社~長尾神社参道~長尾神社~近鉄磐城駅(徒歩約3時間30分)

近鉄八木西口駅を降りて飛鳥川を渡れば、エノキの大木が目に飛び込んできます。蘇武橋のたもとのエノキは樹齢480年といわれ、今井町の歴史を見守り続けてきました。ここは中世の城塞都市として栄えた町で、その名残が町のいたるところに見られます。今井町の散策は1時間程、町内をめぐり北口門跡から北へ進めばすぐに横大路に出ることができます。その道はまっすぐ西へ向かっています。

場所によっては道幅が拡張され、街道の面影はすでに消えてしまっていますが、ところどころに見られる「太神宮」と書かれた大きな燈籠が、かつての街道であったことを示しています。また道沿いには民家の入口に道標が残されていたり、半ば埋もれた道路元標が交差点の角にあったりと、気をつけて見なければ見過ごしてしまうほど、微かな面影が残っています。橿原市を流れる曽我川にかかる橋のたもとには、大きな道標が壊れながらも残され、竜田から来る道とここで交差していることを教えてくれます。

大和高田市に入ると道は再び細くなり、古い町家や、伊勢詣りのための太神宮の燈籠をいくつも見ることができます。中世に築かれた高田城は石碑だけが残りました。江戸時代には高田御坊といわれる専立寺の寺内町として商業が発展し、お伊勢詣りの宿場町としても栄えています。
横大路を少し離れ、近鉄高田市駅の近くにある石園座多久虫玉神社に向かいます。この神社は横大路に横たわる大蛇の頭だとも、ちょうど腹の部分だったともいわれており、龍王宮と呼ばれ水神と深く関わっていたようです。かつて神社前を流れていた高田川は流れを変えられ、現在は道路になっています。

道を戻り西に進めば、桜の名所として知られる現在の高田川と大中公園です。大中公園から道は国道166号になり、多くの車が竹内峠に向かって進んでいきます。尺土の手前で車道を離れ、民家の間を通る道を進んで行くと、近鉄南大阪線の線路の向こうに赤い鳥居が見えてきます。道は線路によって分断され、その先に行くことはできません。回り道をして踏切を渡り、鳥居まで進むと、道はまっすぐ長尾神社とその先の峠を指しています。この長尾神社から先は竹内街道になり、峠を越え大阪・堺へと続いて行くのです。


今井まちなみ交流センター華甍

今井町の復元された環濠

曽我川ぞいに建つ古い道標

大和高田にある太神宮の高灯籠

石園座多久虫玉神社

大中公園の能舞台

長尾神社参道の鳥居と近鉄電車
 

伝説が生きる今井と大和高田~聖徳太子と静御前~

今井町と大和高田には古い伝説が残ります。今井町の入口の蘇武橋のたもとにはエノキの大木が聳え、道を挟んで蘇武の井戸が復元されています。かつて聖徳太子が愛馬黒駒と斑鳩から明日香への道を通ったとき、この地で休んだという伝説が残る場所です。

一方、平安時代の末期、源義経と静御前は、吉野山へ義経とともに落ち延びて行く途中、静の母・磯野禅尼の里、大和高田に立ち寄ったという伝説があります。そのためか高田の町の中には、義経や静御前にゆかりの場所が何カ所か残されています。

歴史ある町は、古い史跡や建造物を残すだけではなく、伝説の語り継がれる町でもあるのです。


蘇武橋のエノキと畝傍山(遠景)


石園座多久虫玉神社にある静御前ゆかりの地の石碑

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