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忍坂街道を歩く ~粟原廃寺から宇陀の辻へ~

掲載日:2014年1月31日

宇陀から桜井へ抜ける峠は半坂峠といい、近畿自然歩道のコースにもなっています。この坂は、記紀における神武天皇東征で語られる男坂(おさか)だという伝承があります。峠の桜井市側は「忍坂街道」として知られ、街道周辺には、舒明(じょめい)天皇陵や大伴皇女(おおとものひめみこ)墓などの古墳や、石位寺や忍坂坐生根(おっさかにいますいくね)神社などの古い神社が残り、住宅地近くにありながら、歴史を感じさせてくれるところです。
JR・近鉄桜井駅~(路線バス使用)~粟原~粟原寺跡~石位寺~舒明天皇陵~鏡王女墓~大伴皇女墓~忍坂坐生根神社~忍坂山口坐神社~宇陀が辻~近鉄大和朝倉駅(徒歩約3時間)

「忍坂」と書いて「おっさか」と読むのをご存知でしょうか。古くは「押坂」という表記もされていました。宇陀から桜井へ行く道は半坂峠を越え、この忍坂の地を通ります。記紀にも登場するこの地は、日本最古の市場として知られる海石榴市(つばいち)にも近く、古い歴史の残る場所として知られています。

JR・近鉄桜井駅南口からはバスを利用して粟原(おおばら)へ向かいます(バスの本数が少ないので時間の確認が必要)。粟原バス停から集落へ向かう坂を下ると、「男坂伝承地」という道標があります。道はここから坂を登り、男坂を越え宇陀へと続きますが、粟原の集落の上の方には草壁皇子(くさかべのみこ)の菩提を偲んで建立されたという粟原寺跡の礎石が残されています。

集落の近畿自然歩道の道標に導かれながら忍坂へと下りましょう。棚田の広がる風景と国道166号とがのどかな景観を醸しだしています。国道のすぐ脇の道をどんどん下り、下り切ったところが忍坂です。倉橋池の大きな堤防や、赤坂天王山古墳などが見えています。古くからの住宅地のなかには石位寺があり、白鳳時代の作と伝わる重文の「薬師三尊石仏」が祀られています(石仏の拝観は要予約。問い合わせは桜井市商工観光課 TEL 0744-42-9111)。

石位寺から街道に戻り、舒明天皇陵を目指します。天皇陵への道の途中にある大岩が神籠石(じんごいし)です。神武天皇が戦の際に、この石を盾にして飛んで来る矢を防いだとの伝説が残ります。さらに道を登っていくときれいに整備された陵が見えてきます。脇から道を登れば山間の静かな空間がその先に開けており、鏡王女(かがみのおおきみ)墓、さらに大伴皇女墓があります。周囲には静けさが満ち、遠く談山(たんざん)の山も見え、かつて「万葉集」の普及に努めた犬養孝氏が絶賛した風景が残されています。

街道へ戻り、さらに桜井方面に進むと忍坂坐生根神社があります。神社には本殿はなく外鎌(とかま)山をご神体として祀っています。さらに桜井方面に進むと国道166号に出ます。国道の向こうに茂った杜は忍坂山口坐神社で、クスノキの巨木が印象的です。この神社も拝殿しかなく、自然そのものをご神体とする古い信仰が生きています。街道はしだいに住宅地の中を進み、宇陀が辻で伊勢街道と出合います。近鉄線をくぐり東に進めば、大和朝倉駅に到着します。


粟原寺跡

石位寺

神籠石

舒明天皇陵

大伴皇女墓

忍坂坐生根神社

忍坂山口坐神社の
クスノキの巨木
 

神武東征服の道~棚田にひろがる歴史の謎~

標高300mを超える宇陀盆地と、標高100mに満たない奈良盆地とは、その標高差200m以上。男坂伝承地である半坂峠からは、ほぼ下りだけの"片峠(かたとうげ)"といわれる地形になっています。この長い下りには斜面を利用した棚田も見られ、日本の原風景が残されています。
半坂峠を少し下った粟原には粟原寺院の大きな礎石が無造作に置かれています。この寺は中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおおしま)が草壁皇子を偲び寺の設立を発願し、彼の死後比賣朝臣額田(ひめのあそんぬかた)によって完成されたことが、談山神社が所蔵する『粟原寺三重塔伏鉢』(国宝)に刻まれた銘文によってわかっています。しかし、この比賣朝臣額田という人物はいったい誰なのか、実はわかっていません。よく知られている万葉歌人であった「額田王(ぬかたのおおきみ)」ではないかといわれていますが、すべては謎のままなのです。


男坂伝承地の道標


粟原寺跡の十三重石塔


国道166号沿いの、のどかな棚田の風景

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