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近代化遺産ある記

vol.6 奈良市きたまち転害門観光案内所(旧南都銀行手貝支店)

掲載日:2014年9月30日

天平建築を意識した木造銀行建築

風雪を刻む木の柱、軽やかな広がりを見せる屋根。東大寺転害門(てがいもん)は、天平時代の貴重な建築を今に伝える国宝です。その転害門のすぐ北、京街道に面して、「奈良市きたまち転害門観光案内所」が建っています。長い間、空き家になっていましたが、外観及び内部を大々的に改修し、平成25年5月25日、観光案内所として生まれ変わりました。現在は奈良きたまち観光の拠点となっています。

建物は昭和15年(1940)竣工。南都銀行手貝支店として岩崎平太郎が設計したものです。転害門のある景観を邪魔せず、当時は多くの商店が軒を連ねて賑わっていた京街道に溶け込む外観の演出は、平太郎も十分意識したことでしょう。一見2階建てに見える建物は吹き抜けの天井を有する平屋建て。正面玄関は両開きのガラス戸を中心にした左右対称の造りで、伝統建築と銀行らしい造りとが絶妙に溶け合っています。

チェックポイント!

銀行の面影を残す外観・内観

町家造りと銀行建築の融合

天井の板の上には建築当時の木組みが残されており、見えている部分の木組みにも一部生かされています。外壁の窓には頑強な真鍮の格子。その一方、腰板は西面を簓子下見(ささらこじたみ)、南面を竪板(たていた)張りとするなど和風建築の妙を感じさせてくれます。

百年の時を刻む大時計

時を知らせる重厚な響き

観光案内所に入ると真っ先に目に飛び込んでくるのは、明治時代に作られたドイツ製の大きな分銅式時計。かつては街道沿いの松石時計店の店先で、明治後半から時を刻んでいました。百年以上休まずに働き続けています。

歴史を刻む転害門

矢じりの刺さった柱や奇妙な穴

案内所に来たらぜひ立ち寄りたいのが転害門。節が浮き出た南西角の柱、基壇に彫りこまれた用途不明のいくつもの丸い穴、中央部の柱に埋まりこんでいる矢じりなど、謎もいっぱい。案内所にはガイドスタッフも常駐しているのでいろいろ教えてくれます。

建てたのはこんな人!

岩崎平太郎(いわさきへいたろう)
明治26年(1893)~昭和59年(1984)

岩崎平太郎は吉野郡下市町に生まれ、吉野工業学校建築科に学んだ後、京都で古社寺の修復に携わりました。また京都大学建築学科の創設に尽力した武田五一に誘われ、大正4年(1915)のサンフランシスコ万国博覧会では日本館建設にあたります。帰国後は吉野を拠点に活動、奈良県知事公舎、奈良女子大学佐保会館、畝傍高校、天理教敷島大教会、吉野駅舎など、和と洋とが融合したモダン建築で知られています。

奈良市きたまち転害門観光案内所(旧南都銀行手貝支店) DATA

住所奈良市手貝町54-1
アクセスJR・近鉄奈良駅から青山住宅行きバスで約6分、転害門下車、徒歩すぐ。
または近鉄奈良駅から徒歩約15分
設計者岩崎平太郎
建造年昭和15年(1940)12月
一般公開10時~16時(木曜、年末年始は休館)
問い合わせ0742-24-1940(ボランティアスタッフも募集しています)

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