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近代化遺産ある記

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vol.8 志賀直哉旧居

掲載日:2014年11月28日

文豪の思いのこもった奈良の家

若草山、春日山、御蓋山(みかさやま)、高円山(たかまどやま)の麓に広がる閑静な高畑町。かつては春日大社に勤める神職の方々などが暮らしの中心とした土地です。明治時代から昭和にかけて活躍し、近代文学の最高峰と評される白樺派の作家・志賀直哉は、大正14年に奈良に移り、昭和4年(1929)、高畑町に伝統的な木造住宅を新築・転居します。それは自ら設計の筆をとって建てたこだわりの住まいでした。家族とともにこの家に暮らした直哉は、この家で長編作品『暗夜行路』を完成させ、9年間を過ごします。

東洋の古美術や建築に強く心ひかれていた志賀直哉。その設計・建築には、京都から呼び寄せられた数寄屋大工の棟梁・下島松之助があたりました。「折角面白く作っても、必然さのないものは本統(当)の意味で面白さがない」。直哉が記したようにこの家には「必要」と「面白さ」とが盛り込まれています。茶室建築でありながら、サンルームなどを取り入れる、公的な区域と私的な区域の行き来ができるようにするなど、暮らしを有意義に面白くする工夫が盛り込まれています。建物は平成12年に登録有形文化財となっています。

チェックポイント!

おもてなしのモダニズム

高畑サロン誕生!文化人が集う家

志賀直哉旧居は数寄屋造りが基調ですが、洋風の様式も取り入れています。文化人が集まるサロンとして公的な機能をもたせたサンルームと食堂には、アカマツや白樺など茶室によく用いられる木材が使われています。食堂にアカマツ材をぐるりと巡らせたり、サンルームの天井に白樺材を大胆に取り込んだりと、建材の用い方は自由にして緻密。細部まで計算され尽くしたものです。サンルームは南側に位置し、天井の窓からさしこむ陽の光が瓦敷の床にそそがれます。明るく暖かな部屋に面する洋風の芝生の庭の景色も見事です。

家族の動向がわかる造り

家庭を見守る直哉の優しい視線

家族思いの直哉。間取りや部屋と部屋のしきりには、家族の誰がどこにいるのか、すぐわかるような工夫がなされています。夫人の居間の壁に取り付けられた小さな小窓。これはすぐ隣の客間(サンルーム)から、お互いに声を掛けやすいようにしたものです。すぐ隣の寝室の壁にも竹格子の窓があります。庭で遊ぶ子どもたちと連絡を取りやすくするための工夫であり、また子どもたちも直哉の部屋を通らずに、自分たちの寝室に行けるようになっていました。子どもの勉強部屋の床にはコルク材が使われ、成長期の子どもたちへの配慮もなされています。

春日の森の自然を味わう

門から茶室まで広がる日本庭園。サルスベリやボタンの花などが観賞できる美しい庭です。書斎の前に位置する池には、梅雨の季節になるとモリアオガエルが産卵にやってきます。モリアオガエルは春日の森に住み、産卵のときに集団で泡状の卵塊を枝などに産み付けます。モリアオガエルのコロロロという鳴き声を、執筆中の直哉も耳にしたことでしょう。いまでは木が茂り、少し見づらくはなりましたが、2階の客間からは庭の借景として若草山を眺望できます。

建てたのはこんな人!

下島松之助(しもじままつのすけ)

京都を拠点として活躍した数寄屋造りの棟梁、茶室建築家。志賀直哉旧居ほか、鎌倉市の西御門サローネ・茶室(昭和6年に市の重要景観建築物に指定)など、主に裏千家の茶室を手がけました。志賀直哉は昭和2年、高畑町に建てられた画家・浜田葆光(はまだしげみつ)の茶室を目にし、建築を下島松之助に依頼しました。現在のどの範囲までが直哉の意向でどれが松之助の意図したものかはわかりませんが、設計の段階で、2人が相当の時間をかけて話し合ったことが知られています。

志賀直哉旧居 DATA

住所奈良市高畑町1237-2
アクセスJR・近鉄奈良駅から市内循環バスで約10分、砥石町下車、東へ徒歩約4分、北へ徒歩約1分
建造年昭和4年(1929)
一般公開3月~11月は9:30~17:30、12月~2月は9:30~16:30開館(月曜〈貸切日〉、年末年始休館)
ただしセミナー利用など休館日の貸切利用可(事前に要相談、問い合わせ)
問い合わせ0742-26-6490(奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居)
入館料一般350円、中学生200円、小学生100円、30名以上の団体割引料金有
関連サイト奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居 http://www.naragakuen.jp/sgnoy

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