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勝手に奈良検定

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第54回 勝手に奈良検定

問題1

平城遷都1300年祭の平城宮跡会場にも近いこのお寺の旧境内で、2009年7月、ペルシャ陶器片が大量に発見されました。何という名前のお寺でしょうか。

第54回 勝手に奈良検定

正解

正解は、西大寺。

2009年7月、西大寺旧境内で、ペルシャ陶器の壺とみられる破片19点が見つかりました。破片は高さ50cmほどの壺の一部で、ペルシャ湾の海を思わせるコバルトブルーの釉薬(ゆうやく)が塗られていました。ペルシャ陶器は太宰府市などで9世紀以降のものが見つかっていますが、それより古い時代のものと推定され、平城京では初めての出土です。

正倉院宝物には、ペルシャの影響を受けた中国製と日本製の工芸品が数多くありますが、西アジア製そのものは少数しかありません。今回発見された陶器は、西アジアのペルシャ商人たちが、「海のシルクロード」と呼ばれる海上ルートで運んだもので、香料やナツメヤシが入っていたと考えられています。

西大寺は天平神護元年(765)、聖武天皇と光明皇后の娘である称徳天皇によって創建されました。創建当時の境内の面積は興福寺や大安寺をしのぎ、東大寺に次ぐ大きさでした。「西大寺資財流記(るき)帳」には、異国情緒あふれる緑釉瓦(りょくゆうがわら)の宮殿や、倉が建ち並んだ正倉院などが記されています。西大寺旧境内には「地下の正倉院」ともいえるシルクロードゆかりの遺物が、いまも眠っていると考えられています。

問題2

奈良市にあるこのお寺の本尊は、不空羂索観音坐像(ふくうけんさくかんのんざぞう)として知られます。鑑真和上の住坊跡に建立され、鎌倉時代には叡尊(えいそん)上人が戒律を講じたともいわれるこのお寺は、何という名前でしょう。

正解

正解は、不空院(ふくういん)。

奈良市高畑にある不空院は真言律宗のお寺で、本尊は不空羂索観音坐像です。不空羂索観音の不空は「心願空しからず」、羂索は「縄」で、「あらゆる衆生をもれなく救済する観音」という意味です。不空羂索観音は東大寺法華堂の本尊、興福寺南円堂の本尊としても知られています。

境内には、空海が興福寺南円堂を建立する際に、「試みのお堂」として建てた八角円堂の礎石が残っています。今の本堂は円堂ではなく、安政の大地震で倒壊した後、大正時代に再建されたものです。本堂に祀られている弁才天女は奈良町の芸妓さんたちの信仰を集め、別名「福院」とも呼ばれたことから、女性の「かけこみ寺」ともなってきました。

奈良時代、鑑真が平城京に入った後に、ここを住居としていた時期があるといわれています。鎌倉時代には、叡尊らが戒律を講じていました。普段は事前予約の上、拝観できますが、平城遷都1300年祭を記念して、10月16日から11月14日の期間中、予約不要で拝観できます。

問題3

平城遷都1300年祭の平城宮跡会場で人気を集めている遣唐使船の復原展示。ところで橿原市の御厨子観音妙法寺(みずしかんのんみょうほうじ)は、ある遣唐使が無事帰国できたことを感謝して建立されたものです。この遣唐使とは誰でしょう。

正解

正解は吉備真備(きびのまきび)。

御厨子観音妙法寺は、遣唐使として阿倍仲麻呂らとともに唐に渡った吉備真備が、無事帰国できたことを感謝し、天平7年(735)に建立されました。最盛期、5万平方mもの広さを誇った境内には、北室院、南室院などのお堂が建ち並んでいたといいます。兵火や火災のため衰退し、現在のお堂は元禄時代に再建されたものです。本尊の十一面観音立像(推定鎌倉時代)は、吉備真備の観音信仰を伝えるもので、一願成就をかなえてくれるといいます。

御厨子「みずし」の名は、この寺の東側低地に「磐余(いわれ)の池」があり、磐余池の水尻(みずしり=水の端)に位置していたことから、(みずし)と呼ばれるようになったといわれます。
大津皇子の辞世歌「ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」で知られる磐余の池。この辺りは「磐余の道」として古代色にあふれる旧蹟が多く、「吉備池」や「吉備寺跡」といった、吉備真備にちなむ史跡も残っています。

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