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勝手に奈良検定

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第87回 勝手に奈良検定

問題1

手前に蓮池、楼門、背後の山…。さて、このお寺はなんというお寺でしょう。ヒントは奈良市のお寺です。

第87回 勝手に奈良検定

正解

正解は、円成寺(えんじょうじ)。

奈良市から、車で西へ約7kmのところにある円成寺は、柳生街道随一の名刹。若き日の運慶が彫った大日如来像でも知られます。万寿3年(1026)に命禅(みょうぜん)上人が十一面観音を祀ったのが始まりです。兵火や明治の神仏分離で多くの建物を失いましたが、いまなお歴史的な建造物を数多く残し、山寺の落ち着いた風情を見せています。

柳生の山並みを背景に建つ楼門は、文正元年(1466)に兵火に焼かれ、応仁2年(1468)、栄弘が再建した室町時代のもので、重要文化財に指定されています。入母屋桧皮葺(いりもやひわだぶき)の建物には、和様と天竺様が織り交ぜられ、重厚さと軽やかさがバランスよく感じられます。

また写真手前の蓮池は、浄土式と舟遊式を備えた平安時代作の寝殿造り系庭園で、名勝に指定されています。平安時代末、寛遍僧正が真言密教の教えであるバン字をもとに造園したといわれ、紅葉のころの美しさはもちろんですが、6月の蓮の花咲く季節は、楼門のたたずまいと相まって、まさに阿弥陀浄土の世界が広がります。仏教では好まれる蓮の花。奈良県では、喜光寺や唐招提寺、薬師寺などでも楽しむことができます。

問題2

伊勢本街道沿いに開けた宇陀郡曽爾村。かつての山粕宿のメインストリートは、ある生き物の名前をとって「○○○」街道と呼ばれます。さて、その生き物とはなんでしょう。

正解

正解は、めだか。

曽爾村の西端に位置し、奈良と伊勢神宮とを結ぶ伊勢本街道のちょうど中間地点にあたる曽爾村山粕地区。かつては山粕宿として街道を行き交う人で賑わいました。いまも旅籠の面影を残す古民家が建ち、往時を偲ばせてくれます。

この山粕集落の中を抜ける旧道の通称が「めだか街道」です。道沿いには何本ものノボリがはためき、まんまるい目をした赤いめだかのキャラクターが描かれています。もともとは同地区に住暮らす住民の趣味から始まったもので、当初は1軒、1水槽、1種類のめだかでしたが、いまや山粕郵便局を含む11軒にまで広がり、種類も30種以上までに増え、テレビでもたびたび紹介されています。軒先のめだかを見学できるほか、気に入れば購入することもできます。

初夏は今年生まれた稚魚たちも元気に泳ぎ始める季節。また集落を流れる青蓮寺川は美しく澄み、6月中旬から蛍も飛び交います。室生の火山活動によって造られた奇観・景勝の地、曽爾村。めだか観賞、ほたる観賞を楽しんだ後は、曽爾高原の散策や、曽爾高原ファームやお亀の湯で食事や温泉めぐりもおすすめ。初夏の高原を楽しみに出かけてはいかがですか。

問題3

弘法大師が持ち帰り、弟子によって現在の宇陀市の山中に種が植えられた植物で、その加工品が当初は薬として、現在は健康的な飲料・嗜好品として、日本人の生活に欠かせないものといえば、さて何でしょう。

正解

正解は、お茶。

日本の歴史のふるさと・奈良県には、いわゆる“発祥の地”がいくつもあります。その1つが「お茶」。現在は奈良市東部の山間部、天理市、山添村、宇陀市などの「大和高原」で栽培されるほか、吉野川流域の大淀町や東吉野村でも栽培が行われています。とくに前者は標高300mから700mにも及ぶ高地のため、寒暖の差が激しく、香りと味わいの高いお茶が作られるのが特徴です。

日本におけるお茶の歴史は、奈良時代までさかのぼることができます。天平元年(729)、聖武天皇のとき「宮中に僧を召して茶を賜った」との記述が、記録に残るはじめてのものといわれています。また、お茶の栽培は、大同元年(806)、遣唐使として大陸に渡った弘法大師が種子を持ち帰り、弟子の堅恵大徳が仏隆寺(宇陀市)に種をまいたのが始まりといわれます。現在仏隆寺には、「大和茶発祥之地」の石碑が建っています。

茶道を確立した村田珠光ゆかりの称名寺(奈良市)、徳川家綱の茶湯指南をつとめた片桐石州ゆかりの慈光院(大和郡山市)など、茶道ともつながりの深い奈良。2014年2月12日~16日には、奈良市の社寺やならまちの茶室を舞台に、大茶会「珠光茶会」も開催されることが決定しました。お菓子の発祥の地でもある奈良。お茶とお菓子を楽しみながらの町歩きも、古都奈良の楽しみ方といえるでしょう。

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