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歌姫越え ~高の原から平城宮跡へ~

掲載日:2013年3月1日

「歌姫越え」。とてもロマンチックな呼び名で知られる道は、京都府から奈良市高の原、歌姫町を通り、奈良平城宮まで続く道です。さらに東を通る「奈良坂」と並んで、京都から奈良に入る重要な道でした。道は平城宮の朱雀門からさらに平城京を南北に縦断し、羅城門からは下ツ道として、さらに南へ延びているのです。

近鉄高の原駅~うたひめのみち~ならやま大通りの下をくぐる(県道751号を歩く)~添御縣坐神社~辻地蔵~平城宮跡~第一次大極殿(復元)~第2次大極殿跡~東宮庭園~朱雀門(復元)(徒歩約3時間)

近鉄高の原駅周辺には住宅地や団地がたくさん建ち並び、整備された街並が続きます(詳細はこちら)。歌姫越えの道は県道751号になります。駅から東へ約1km進めば、県道との交差点です。遊歩道「うたひめのみち」が整備され、住宅地の谷間でありながら、野鳥のさえずりを耳にのどかな散策が楽しめます。

遊歩道の終点からいよいよ歌姫越えの道です(詳細はこちら)。通行する車に注意しながら、ゆるやかなカーブの続く狭い車道を歩きます。周囲に田畑が広がるのどかな風景のなか、道はしだいに峠を登っていきます。峠の頂上付近は車道も狭くなり、車が行き違うために道を塞ぐことも多いのですが、古い街道の雰囲気が残されている場所でもあります。道沿いには添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)があり、街道から参道が伸びています。周囲には静かな杜がひろがります(詳細はこちら)。

古代の人々にとって、峠を越えることは自分を守ってくれる産土(うぶすな)の神の加護を離れ、知らない土地の神と出会い、別世界に入ることでもありました。そのため、旅立ちにあたっては旅の安全を祈願して神に幣(ぬさ)を奉納しました。境内にはそのことを詠んだ万葉歌碑が建っています。今は車が行き交う峠付近ですが、奈良市の保存樹に指定されたクスノキの巨樹が旅人を見守っています。

住宅地のなだらかな道を下っていくと、舗装道路の中央に辻地蔵が立っています。道路が拡張されても動かされることなく存在し続ける姿には、歴史の重みを感じます。この近辺には佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)が広がり、神功皇后陵やウワナベ古墳など、墳長200m前後の巨大古墳群を見ることができます。

さらに進んでいくと平城宮跡です。急に目の前が開け、復原された第1次大極殿正殿の優雅な姿が見え、甲子園球場が約30個も入るといわれる広大な平城宮跡が広がっています。一帯は国営平城宮跡歴史公園として整備工事が進められ、発掘作業が行われているところもあります。発掘と保存と整備の3つの作業が同時並行で進んでいるところなのです。平城宮跡に入ると歌姫街道は「みやと通り」となり、さらに南へ進んでいます。東院庭園に立ち寄ってもいいでしょう。石が敷き詰められた池は清らかな水をたたえています。称徳天皇が愛した庭園を眺めれば、古の貴族の気分を味わうことができます(詳細はこちら)。

道をみやと通りへ戻し、平城宮の南の正門である朱雀門を目指します。この門の外には平城京が、そして門から南へ朱雀大路が羅城門へと続いていました。朱雀門から東に向かえば近鉄新大宮駅、平城宮跡に戻り、北西へ進めば、近鉄大和西大寺駅へ行くことができます。


うたひめのみち道標

整備された「うたひめのみち」遊歩道

歌姫越え頂上付近の狭い道

添御縣坐神社

クスノキの巨樹

辻地蔵

平城宮第一次大極殿

東院庭園

平城宮跡の保存運動

奈良時代末期、長岡京へ都が遷り、忘れられた宮跡は、田や畑として耕作されてきました。明治から大正時代、関野貞(せきのただし)、喜田貞吉(きたさだきち)などによる研究が行われ、奈良時代の都の姿が次第に明らかにされました。それに刺激されるように、土地を買い取り国に寄付するなどして平城宮跡の保存運動を行ったのが、棚田嘉十郎(たなだかじゅうろう)や溝辺文四郎(みぞべぶんしろう)などの地元の有志です。大正11年(1922)、平城宮跡は史跡に指定されました。

棚田嘉十郎の銅像は朱雀門の南側に建てられています。彼らの運動なくしては、平城宮跡は現在保存されていなかったかもしれません。先人の努力によって平城宮跡は存在し、そして世界遺産にも登録されているのです。


第二次大極殿跡


棚田嘉十郎像

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