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特集

スイカに魅せられた奈良人たち(前編)

掲載日:2021年7月21日

表紙写真:スイカの品質検査(株式会社萩原農場)

ギュッとつまった真っ赤な果肉に、ジュワッと甘くて瑞々しい果汁…「スイカ」は、猛暑を乗り切るのに欠かせない食べ物であり、日本の夏の風物詩として長く人々に親しまれてきました。今では、スーパーなどの店頭で、ゴールデンウィーク前から8月のお盆過ぎまで、南から北へと産地リレー式に店頭に並べられており、ますます人気が高まっています。

実はこのスイカ、歴史をさかのぼると奈良と縁が深いことがわかりました。
今回は、前編に奈良のスイカの歴史をたどり、後編はスイカが拓く地域創生についてご紹介。色んな視点から、スイカの魅力に迫ってみましょう。

1.奈良発祥の「大和西瓜」誕生

奈良でスイカの栽培が盛んになったのは江戸時代末期。当初は、「権治」と呼ばれるスイカが栽培されていました。その後、アメリカ・カリフォルニア大学から導入された「アイスクリーム」と呼ばれる品種と自然交配し、奈良県産のスイカとして「大和西瓜(やまとすいか)」が誕生。これが、近代まで続くスイカ品種の基礎となったといわれています。
大正時代に入ると、奈良県は大和西瓜の生産地として躍進し、栽培面積も年々増加。育種する農家も増え、改良を重ねることで品種も増えていきました。
中でも「類なき風味を持つ」と高評価だった新種の「新大和」は、1930年には全国に出荷されていました。しかし、第二次世界大戦が始まった1941年以降、生産数は減少。1960年代初めまで全国有数のスイカの産地だった奈良県でしたが、生産規模の大きな他県に産地が移っていきました。

2.一人の育種家が築いた優良品種の「富研号」

1960年代以降、奈良のスイカ栽培は、販売用から採種用の栽培が中心となっていきます。その中核を担ったのが農業家の萩原善太郎氏(以下、萩原氏)です。萩原氏は、農家収益の向上に取り組む中で、優良品種の必要性を痛感。大正5年、採種事業に着手し、品質良を重ね、昭和12年、今のスイカの元祖となる「富研号(ふけんごう)」を創生しました。

甘さ、食感、栽培のしやすさなどが評価され、昭和26年4月、スイカ業界で初めて農林省種苗名称登録されました。

3.スイカのポテンシャルは未知数

現在、萩原氏の礎を引き継いだ株式会社萩原農場は、スイカ専門の育種農場として全国にスイカの種を出荷しています。
「いま、国内で出荷されているスイカの7~8割は、奈良県で育種された種から栽培されたもの。つまり起源は奈良にあるともいえます」と話してくれたのは、代表取締役社長である萩原俊嗣さん。

スイカの種を取り、ふるいにかける作業は機械と人の手の併用。最終的な判断は人の目にゆだねる部分も多く、人手も根気も求められる厳しい仕事です。時代の流れとともに、県内でも種をつくる農家は徐々に減り、今では数件となりました。

しかし、スイカがもつポテンシャルに注目した萩原農場では、バイオテクノロジーを駆使し、スイカに多く含まれる「シトルリン」と呼ばれる成分などを抽出。その成分を石鹸、飲料など、美容や健康のための商品として活用し、新しいビジネスを展開しています。
「商品開発は簡単にはいかないし、誰もができることではありません。でも、スイカのポテンシャルは未知数です。色んなビジネスを仕掛けていき、将来的には、地元が盛り上がるきっかけになればうれしいですね」(萩原さん)。

奈良の地を足掛かりにはじまったスイカの生産。現在は、種や商品と形を変えながらも、奈良から日本全国に発信し続けています。

(後編へ続く)

参考「奈良県農業研究開発センターの120年の歴史と現在」

 

<株式会社萩原農場 DATA>

TEL 0744-33-3233
住所 磯城郡田原本町法貴寺984
アクセス 近鉄田原本駅から徒歩約30分

 

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