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筋違道(太子道)を行く ~聖徳太子の伝説が残る道~

掲載日:2012年8月31日

安堵町飽波(あくなみ)神社から南に延びる道は、かつて聖徳太子が斑鳩から明日香へ通ったという伝説が残る筋違い道(太子道)です。近世では伊勢詣りの道としても利用されていました。道がはっきりとわかる田原本町まで辿ります。田原本は桃太郎伝説の主人公、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)が生まれたところという伝承もあり、筋違い道周辺はさまざまな伝説に彩られています。

近鉄平端駅から安堵町コミュニティバスを利用し、安堵町役場前下車~飽波神社~杵築神社(中窪田)~馬場尻橋~吐田橋~島の山古墳~比売久波神社~糸井神社・面塚~白山神社~杵築神社(屏風)~杵築神社(伴堂)~黒田大塚古墳~法楽寺~孝霊神社~鏡作伊多神社(宮古)~鏡作伊多神社(保津)~八幡神社(薬王寺の大樟)~近鉄田原本駅(徒歩約3時間30分)

安堵町の飽波(あくなみ)神社は降雨を祈願した「なもで踊り」の絵馬で知られる古社。境内には聖徳太子が腰掛けたという伝説の石があります。太子道はこの神社の前から安堵の町を南へ通り抜け、大和川へと向かっています。飽波神社からしばらく進むと杵築神社(中窪田)があります。ここでは梵字が刻まれた古い平安時代後期の石の層塔を見ることができます。古い街道の趣を残した集落を抜けると大和川の堤防に出ます。川にかかる馬場尻橋からは、葛城山から二上山が見渡せます。ここから南に少し進むとすぐ、寺川を渡る吐田(はんだ)橋です。堤防沿いに建ち並ぶ民家の軒先には伊勢詣りの灯籠と古い道標が残り、道標には「左 郡山 右 法りゅうじ」と刻まれています。寺川の堤防から見えるこんもりとした森は、島の山古墳です。島の山古墳は全長190m。周濠に囲まれた前方後円墳です(詳細はこちら)。すぐ西側に比売久波(ひめくわ)神社(詳細はこちら)があり、近くの糸井神社(詳細はこちら)とともに養蚕との関わりがある神社といわれています。糸井神社から寺川を挟んだ対岸には、面塚と「観世発祥之地」の石碑があり、春は桜が咲き地元の人々に親しまれています(詳細はこちら)。

この辺りからは太子道が明日香を目指して南南東に延びているのがよくわかります。太子の「腰掛岩」や「駒つなぎの柳」が残る白山神社(詳細はこちら)、そのすぐ向かいの杵築神社(屏風)(詳細はこちら)は、どちらも太子の伝説を残している神社です。さらに進むと「忍性菩薩(にんしょうぼさつ)誕生之地」の石碑があり、その先には杵築神社(伴堂)があります。この神社はおかげ詣りの絵馬で名高いのですが、知る人ぞ知る石工の佐吉作の狛犬があります。安政6年の作で印象的な顔をしています。

道はさらに南南東に延びていきます。近鉄田原本線黒田駅の南側には黒田大塚古墳と法楽寺、孝霊神社があります。このあたりは日本書紀に記される彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)の生まれた土地といわれています。彦五十狭芹彦命はのちに吉備津彦(きびつひこ)となり、かの「桃太郎」のモデルではないかといわれている人物です。
京奈和自動車道の高架をくぐり、宮古と保津にある2つの鏡作伊多(かがみつくりいた)神社の横を通り、県道14号を越えると大きな樹が見えてきます。「薬王寺(八幡神社)の大樟(くす)」と呼ばれる樹齢約500年の大木で、奈良県の天然記念物に指定されています。その伸びやかな枝ぶりは、仰ぎ見る人の心を落ち着かせてくれます。そこから道を東にとれば、やがて近鉄田原本駅です。


飽波神社の太子腰掛け石

安堵町の杵築神社(中窪田)石塔

大和川からの風景

吐田橋のたもとの道標と灯籠

比売久波神社

面塚

杵築神社(伴堂)の狛犬

法楽寺

薬王寺(八幡神社)の大樟
   

神社の拝殿に掛かる絵馬

神社に参拝した後、覗けるようなら、ぜひ拝殿の中を覗いてみてください。天井の方を見ると、多くの絵馬が掛かっているのを見ることがあります。奉納された年号も書かれているので、どんな時代に絵馬が奉納されたのかがわかります。たとえば飽波神社では「なもで踊り」の絵馬、杵築神社(伴堂)では「おかげ詣り」の絵馬を見ることができます。まるで時が止まったかのように、そこだけは古い時代のまま。神社の拝殿は、身近にあるタイムトラベルできる場所なのです。


飽波神社の絵馬


杵築神社(伴堂)の絵馬

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