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奈良の城・信貴山城と郡山城をたずねて

表紙写真:御城印(信貴山城址・郡山城跡)

最近じわじわと“戦国時代の奈良”が注目を集めています。
「奈良といえば古代史!」というイメージを持つ方も多いですが、畿内一円を中心に歴史が大きく動いていた戦国時代も大和国(現在の奈良県)は重要な舞台となっていました。
奈良にゆかりのある戦国武将で有名なのが、室町時代末期からライバル関係にあった松永久秀と筒井順慶で、彼らがそれぞれ居城としたのが信貴山城(生駒郡平群町)と郡山城(大和郡山市)でした。
そこで今回は、信貴山城と郡山城という二人の武将ゆかりの城をご紹介。
この春、 “戦国の奈良”を感じる旅に出かけてみませんか。

1. 松永久秀の最期の城「信貴山城」

室町時代末期から戦国時代にかけて大和国を支配した武将・松永久秀(1508~1577)。
歴史の授業で習うような有名な武将ではありませんが、室町時代末期の京都で将軍を超える力を持っていた大名・三好氏の家臣をつとめ、のちに織田信長に仕えた武将として歴史に名を残しました。
いまだに謎の部分が多いものの、将軍を暗殺したり、奈良の大仏殿に火を放ったりするなどの“悪役”としてのエピソードが残る一方で、茶道をたしなむなど文化人の一面もあったとされ、戦国の三梟雄(きょうゆう※注1)の一人として、歴史好きの間では昔から知られる存在でした。

その久秀の最期の地となったのが、標高437mの信貴山頂(雄岳)に位置していた信貴山城。

もともとは1536(天文5)年に、河内の守護代・木沢長政が築城しましたが、戦いに敗れたことで、当時の城は焼失。その後、大和に入った久秀が永禄2年(1559)に大規模な改修を行った山城でした。

信貴山城であった敷地の多くは、現在、雄岳の中腹にある「信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)」の境内となっていて、お寺の境内を抜ける山頂への道が整備されています。

境内の賑わいが少し遠くなると同時に山道の斜度も上がっていき、だんだんと足が重くなってきます…。
それでも、目にも鮮やかな新緑と、頬を優しくなでるような心地よい風に吹かれながら、朝護孫子寺の張り子の大寅をスタートして約30分ほどで山頂までたどり着きます。

山頂近くには「信貴山城址」と刻まれた石碑と信貴山城の歴史に関する案内板が立つのみで、建物は残っていません。

しかし、そこから山道を下ると、「松永屋敷跡」をはじめとする曲輪(くるわ※注2)や、切岸(きりぎし※注3)、土塁(どるい※注4)などの城郭遺構が現在も残っており、奈良県では最大級の規模を誇った中世城郭らしい、かつての姿をイメージすることができました。

室町時代末期の大和国は、国全体を治めていた大名のような存在はおらず、興福寺春日大社といった寺社の勢力が強い状況が続き、一方で地元の有力者同士の争いが続くなど、不安定な状態にありました。
当時、河内国(現在の大阪府東部)を支配していた久秀は、次に大和国の支配を狙い、永禄2年(1559)、筒井氏が居城にしていた「筒井城」(現在の近鉄・筒井駅の辺り)に攻め込み、筒井氏を追放して、大和国の支配権を獲得しました。
そして、久秀は、のちに信長に差し出した「多聞城」(現在の奈良市法蓮町に位置にしていた城。現在城跡は中学校となり石碑のみ残る)に加え、大和国と河内国を結ぶ重要拠点の「信貴山城」を築城。
その後、一旦は織田信長に降伏して家臣となりますが、権力争いから反旗をひるがえして、天正5年(1577)8月に信貴山城に籠城します。
しかし2カ月後の10月10日、織田軍に攻め滅ぼされて、燃えさかる信貴山城の天守で自害。
久秀の死とともに、信貴山城は再築されることなく廃城となりました。

天守や石垣のようなわかりやすい遺構が残っているわけではなく、一見どこにでも見られる山の中のようにも思えてしまう「信貴山城址」。
「信貴山城」の幟(のぼり)や案内板がなければ、ここがかつて城だったことに気づかずに通り過ぎてしまう人もいるかもしれません。

それでも、実際に現地に足を運んでみると、信長が手に入れたいと望んだ名茶器・平蜘蛛茶釜を砕いたのちに最期を悟って自害した久秀の無念や、急峻な地形をものともせずに攻め込んだのであろう織田勢の大軍の凄みなどが、胸に迫ってくるようでした。

域内の谷筋では、近年、茶に通じた文化人であった久秀らしく、複数の茶臼の破片が見つかっているそうです。
完全な形では残されていないからこそ広がる想像力を無限に働かせながら、戦国の世に想いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

行きしな、帰りしなに、朝護孫子寺での参拝、雄大な眺めに心癒されるひとときも、ぜひお楽しみに!


※注1 梟雄…残忍で勇猛な人物。
※注2 曲輪…山を削り平坦地とし、陣地などに利用された部分。周りは斜面を人工的に削り、急にした切岸や土塁などで防御されている。
※注3 切岸…曲輪の周りなどで敵兵が安易に登れないように人工的に急にした斜面。
※注4 土塁…曲輪の縁辺部に曲輪平坦部より一段高く造られた土手。敵兵から身を隠すために利用したり、柵を築いたりした。


2.筒井順慶が築いた、続日本百名城「郡山城」

一方、松永久秀を破って大和国を統一したのが、地元の武将・筒井順慶(1549~1584)です。
順慶のルーツである筒井氏は、興福寺の僧侶である衆徒(しゅと)の筆頭格で、春日大社に仕える越智氏などと南北朝時代から対立し、覇権を争う家系でした。
順慶は、“よそ者”の久秀が大和国を支配していた間も、支配を取り戻そうと何度も戦いを繰り広げています。中でも東大寺を舞台に、久秀・三好義継らと戦った、永禄10年(1567)の「東大寺大仏殿の戦い」はご存知の方も多いでしょう。

その後、明智光秀の斡旋で織田信長の配下に入った順慶は、久秀を滅ぼした後、天正4年(1576)に信長から「大和守護」に任ぜられます。そしてその拠点として築城に着手したのが郡山城でした。

しかし、まもなく順慶は没し、跡を継いだ筒井定次も天下統一を進める豊臣秀吉によって伊賀上野に転封(てんぽう※注5)。
代わって郡山城に入ったのが秀吉の命を受けた弟・豊臣秀長です。
秀長は大和・紀伊・和泉3カ国の支配の拠点として郡山城を整備しました。

秀吉と秀長がこの地を奈良の政治・経済の中心にしようとした背景には、西に位置する大坂城の防衛拠点とすることに加え、興福寺などの寺社勢力の弱体化がありました。
そのため、石垣づくりには寺院の礎石や庭石、五輪塔などが使われたのだそうです。

江戸時代に入って、この地域が「郡山藩」となった後も、郡山城は戦略上の重要性から水野家、松平家、本多家などの譜代大名が入城しました。
中でも享保9年(1724)に甲斐甲府城から移封した柳澤吉里が入城した後は、明治維新まで柳澤家が代々藩主となって、安定した治世が続きました。
そうした柳澤家の功績を称え、明治13年(1880)、本丸跡に柳澤神社が建てられ、現在も柳澤吉里の父・吉保が藩祖として祭られています。

現在、近鉄大和郡山駅の北西に位置している「郡山城跡」。
天守自体は失われましたが、天守郭、毘沙門郭、石垣などは良好な状態で残されていて、往時の姿をしのばせるその城郭から、「続日本百名城」に選ばれています。

1980(昭和55)年の築城400年を記念して再建された「追手門(梅林門)」や「追手向櫓」、「追手隅櫓」は、見逃せないポイントの一つです。

近鉄の線路沿いを北へ。石垣が残る御門跡を過ぎて、堀を左手に進むと見えてくる追手門は荘厳で、登城する武士の気分が味わえるかもしれません。
春には「日本さくら名所百選」に選ばれているほどの桜が咲き誇るエリアでもあります。

城内に入ってのおすすめは、今年3月に復元された、本丸へ続く「極楽橋」と、その先に建つ8.5mの天守台です。野面(のづら)積みの石垣の上に立つ天守台は、西に大阪、北東に奈良市方面を見渡すことができて、当時の郡山城の地理的な重要性を感じます。
ぜひ、天守台まで登って、城下町大和郡山を見下ろしてみてくださいね。

再現された追手門や天守台などが在りし日の姿を物語る華やかな郡山城に対し、歴史の敗者となった久秀と同様、久秀滅亡後に廃城となり、今はいくつかの遺構を残すのみの信貴山城。
ライバルだった久秀と順慶の運命を生き写しているかのような二つの城を巡ってみると、彼らの歩んだ数奇な人生が迫ってくるようで、戦国の乱世の時代に生きた武将たちに想いを馳せずにはいられません。

ハイキングや街歩きが楽しいこの季節、ぜひ“戦国時代の奈良”に着目して旅をしてみてはいかがでしょうか?

※注5 転封…知行地、所領を別の場所に移すこと。


参考「WEB歴史街道」
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/8224


参考文献
『松永久秀と下剋上―室町の身分秩序を覆す―』天野忠幸(平凡社)
『奈良県の歴史』永島福太郎(山川出版社)


<信貴山城跡・信貴山朝護孫子寺 DATA>

問合せ 0745-44-9855(信貴山観光協会)
0745-72-2277(信貴山朝護孫子寺)
住所 生駒郡平群町信貴山2280-1
アクセス JR大和路線、近鉄生駒線「王寺駅」、または近鉄生駒線「信貴山下駅」より、バス「信貴大橋」下車
近鉄信貴線「信貴山口駅」より西信貴ケーブル「高安山駅」、バス「信貴山門」降車
拝観時間 9:00~17:00
駐車場 120台(有料・信貴山朝護孫子寺駐車場)
 

<郡山城跡 DATA>

TEL 0743-53-1151(大和郡山市役所地域振興課)
住所 大和郡山市城内町
アクセス 近鉄郡山駅から徒歩約10分
駐車場 5台(無料)

 

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